2011年06月27日

誤った知識の普及

『ハンセン病市民学会年報2010』に,昨年に引き続き,分科会B「啓発活動の在り方を検証する 第2回」のシンポジウム報告が集録されている。

この中で和泉眞藏先生が「啓発の問題点」を端的に述べている。

…子どもがまとめた中に気になる言葉があります。たとえば「弱い感染力なのに,大勢のハンセン病の患者が差別された」というような,弱い感染力なのにハンセン病の患者が差別されたと子どもが書いた。これは一見,正しそうに見えるんですけども,現実に感染症は,強い感染性の問題としてわれわれの前に現れることがしばしばありまして,その時に,感染力が弱いから差別してはいけないんだ,と考えますと,それでは強い人は差別してもいいのか,われわれの社会から排除していいのかという問題に対する,間違っている答えが出てきている。

…「遺伝病ではありません」という主張が,ある程度正しい面もありますけども,逆に言うと,「遺伝病は悪い病気だ,私たちはそんな悪い病気ではありませんよ」と言って,遺伝病の人が非常に困るという事態がひとつです。

感染病に関しては,和泉先生は「防御免疫を持っている大部分の人は菌が感染しても発病することはない」と説明している。
また,遺伝病に関しては「遺伝病は特別な病気じゃなくて,みんなかかる可能性があって,遺伝病を持っている人は排除すべき,悪い素因を持っていることはない」と述べている。
そして,啓発活動における「間違った知識」の危険性について,かつての光田健輔たちの行った「絶対隔離政策」を例に,次のように述べている。

…この計画が進められた時にハンセン病の専門家たちは,強烈な伝染力をもつ恐ろしい不治の病であると,誤った学説で国民を「啓発」し,その結果が「無らい県運動」につながり,国際的な潮流に逆らって,こういう間違った政策が進められた。…しかも,この間違った啓発活動が長年行われた,ということが現在のハンセン病に対する誤解を生んでいる原点である…。

感染症患者を含む社会的弱者と共生する優しい社会こそ,私たちがつくるべき社会だということ…

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2011年06月26日

三種の神器−啓発の問題点

『ハンセン病市民学会年報2009』に,分科会B「啓発活動の在り方を検証する」をテーマとしたシンポジウム報告が集録されている。


前邑久光明園園長の牧野正直先生が「三種の神器」と呼ぶ「ハンセン病に関する啓発パンフレット」の問題点が提起されている。その問題点は,次の3点である。

@「うつりにくい感染症です(ハンセン病は感染力の弱い感染症)」
A「遺伝病ではありません」
B「完治する病気です」

これについて医学的立場から,アイルランガ大学客員教授の和泉眞藏先生が明確に答えているので,彼の発言をまとめてみる。

@について
日本人については感染力が弱い。感染力が弱いのではなく,感染力は「状態」によって変わる。多様性を持って変わる。だから,現在の日本ではハンセン病はうつらない。なぜ発病しないかというと,日本人の免疫力が非常に強くなったからである。

Aについて
感染症であるから菌がいる。それの感染を受けた人間がいる。人間の側の要因があり,これが感染を受けた後,発病するかどうかに影響する。それは「遺伝的素因」によってかなり決まる。
癌にしても糖尿病にしてもいろんな疾患を含めて,遺伝的素因の影響が当たり前のように語られる。それと同じ意味でハンセン病も遺伝的素因が関係する。ハンセン病も他の病気と同じように遺伝的素因が関与するが,普通の病気である。

Bについて
ハンセン病が完治するためには「まともな医者がまじめに治療すること」が条件である。

この「三種の神器」は,かつてのハンセン病が「怖い遺伝病」であるとか「恐ろしい伝染病」であるとかという極端な認識を否定するために逆に強調された結果である。

これも光田健輔の大罪の一つである。「怖く,恐ろしい病気であり,感染しやすく,遺伝もする病気で,発症したら一家全部が悲惨な結果に陥る」というハンセン病観を宣伝し,人々の認識に植え付けた。危険な病気であることを強調することで,排除・隔離・絶滅することを肯定させた光田イズムの弊害である。
人々や社会に浸透している「まちがった知識と認識」を否定するために,必要以上に「安全な病気」であることを強調したのである。

私は「振り子の針」であると思う。片方に強く振りすぎた結果,それを強く戻そうとする(否定しようとする)あまり,今度は逆方向に強く振りすぎてしまったのである。

ハンセン病を「特別視する」のは間違っている。普通の病気である。このことを強調すべきであり,啓発の中心に置くべきである。


同様に,啓発の問題点の一つに「日常生活ではうつりません」がある。よくHIV感染病のパンフレットに書かれる言葉である。ハンセン病でも使われることがある。

「日常生活ではうつりません」,こういう言葉がよく書いてあるんですよ。そうするとみなさんね,ああハンセン病はうつりにくいのだなと思うんですけど,実際は違うと私は思います。日常生活,普通の生活しかしていないわけですよ,みんな。それでいてハンセン病にかかっている。

…セックスというのは日常生活ではないということになりますね。HIVは性的にうつる場合が多いわけですから,そうなのかということですね。ハンセン病もまったく同じで,普通の生活をしていた人がなるわけです。

…だからほんとに「日常生活ではうつりません」という言葉はいいのかどうか,それによってなんか変な安心感をみんなに与えているような啓発,これは根本的に問題があるのではないかと思います。

(上記シンポジウムでの牧野正直氏の発言)

「日常生活ではうつらない」という啓発には,次のような問題がある。

病気にかかった人は,「特別な生活をした人」であって,「普通の生活をしている自分」とはちがう人間であるという新たな偏見・差別を生み出すと同時に,自分には関係のないことなんだという逆効果が生まれる。

逆に,「感染力が強ければどうなのか」という場合,この発想からは感染源を断つという「隔離」が肯定されることになる。

ハンセン病では「なぜ感染者を収容したのか」「なぜ隔離したのか」,それは感染源を社会からなくすことで,この病気がなくなると考えたからであり,なくなれば「関係のない自分は,もはやうつることがない」という発想からである。


手元に,平成22年9月発行の厚生労働省が作成したハンセン病問題啓発パンフレット『ハンセン病の向こう側』がある。このパンフレットには「三種の神器」に関しては,牧野先生や和泉先生の指摘が改訂に反映され,次のように記載されている。

「らい菌」は感染力が弱く,非常にうつりにくい病気です。発病には個人の免疫力や衛生状態,栄養事情などが関係しますが,たとえ感染しても発病することはまれです。現在の日本の衛生状態や医療状況,生活環境を考えると,「らい菌」に感染しても,ハンセン病になることはほとんどありません。

ハンセン病は早期に発見し,適切な治療を行えば,顔や手足に後遺症を残すことなく,治るようになっています。

posted by 藤田孝志 at 02:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月08日

「救らい思想」の陥穽

『プロジェクト 作為・不作為へ』(山本務・熱田一信編著)の第4章に「ハンセン病訴訟が明らかにしたもの」と題した徳田靖之氏の論考が収載されている。

徳田氏は,ハンセン病問題にどのような姿勢で取り組むべきかを示唆してくれた人物である。この小論の前半「1.不作為の責めを問われて」においても赤裸々に自らの弁護士としての「不作為の責任」を語っているが,国賠訴訟における彼の活動と姿勢は「傍観者」であった人間(私自身)がいかに人権問題と向き合って生きるべきかを教えてくれた。人権問題・差別問題に対する多くの視点も示唆してくれた。(これらに関しては別項にて書きたいと思っている)


ここでは後半「2.『救済』とは何か」について彼の論考をまとめておきたい。徳田氏の論考は,療養所に赴任した「医療従事者」の多くが崇高な「救らい者」であったにもかかわらず,何故に加害者と堕したのかという疑問を解明するために,光田健輔の思想と行動を分析したものである。

光田に対する評価は両極端に峻別される。「救らいの父」と崇められる一方で,冷酷な隔離主義者と酷評される。

徳田氏は,「従来の光田評価には,『救らい』を掲げながら,何故に非道とも言うべき人権蹂躙を犯すに至ったかを分析する視点が欠けていたのではないか」と考え,光田健輔の思想と行動の過程を考察していく。


島に移すというと残酷に聞こえるが,患者はあちこちで苦しめられるよりも,一つの楽天地に入ることを希望している。島に一つの立派な村落ができ,宗教的慰安や娯楽ができれば,そこは一つの楽天地である。逃走できない絶海の孤島にそういう設備を作れば,そこで一生を終えるという考えをもつようになる。

徳田氏は,光田健輔のこの言葉に「光田イズム」の核心を読み取り,次のように述べる。

社会内で苦しめられるよりも,社会から隔離された施設での生活の方が患者にとって幸せだという考え方
「逃走できない」状況に閉じ込め,宗教的慰安と娯楽を与えることで患者にその地を楽天地であると受け入れさせることができるという考え方

…光田は,病理学的関心から出発し,療養所長としての入所者管理の効率的遂行という目的意識から,その孤島隔離必要論や隔離政策論を展開していったのであり,光田イズムの形成過程においては,決して「救らい」といった旗印が鮮明にされていた訳ではない。

…光田の関心は,私立療養所を「支配」する「信仰」に代わる権威を求めていたのかもしれない。
療養所を「楽天地」にするといった発想も,懲戒権と結婚承認という両刀によって入所者を全面的に従わせようとした運営方針も,そうした意識の産物だったように思われるからである。

私は,この光田の傲慢で勝手な思い込みこそがハンセン病問題の元凶であったと思う。光田がこの思い込みに基づいて「苛烈なまでに自らの施策を貫徹しようとした」結果が「断種」や「堕胎」「懲戒検束権」「重監房」等々の非人道的な数々を生み出していったのである。

徳田氏は,これら非人道的施策を推進させた光田の論理,特に「断種・堕胎等の優性施策の必要性」を次のように要約する。

第1は,母体の病勢悪化の懸念である。
妊娠・分娩によって,女性患者の病勢がいっそう悪化するということが強調された。

第2は,生まれてくる児への悪影響である。
胎児感染の危険があり,将来発病する可能性が大きいとか,「病的精子」によって生まれてくる子は虚弱児となる可能性が大きいといった優性思想的な理由付けのほかに,仮に健康な子が生まれても養育する環境がないということが強調された。

第3は,ハンセン病患者に連なる血統を根絶するという理由である。

光田の特徴は,その理由付けを徹底的に使い分けた点にある。第1,第2の理由は,入所者に対する語りかけとして使用され,第3の理由は,対外的とりわけ国会や政府に対する表明として使用された。この第3の理由こそが光田の本音であり…

…光田の真骨頂は,その本音を秘し,あくまでも入所者に対しては,患者のためであり,生まれてくるこのためであると説き続けた点にある。

「あくまでも,あなたたちのことを思ってのことだ」という論理の独善性の恐ろしさを痛感する。この論理が自己正当化を引き出し,自らの問題性に気づくことを妨げ,視野を狭くさせる。


「長島事件」の原因となったのは,国家予算が少なく,医師・看護師・一般職員の人員も不足している状況にありながら,光田が定員を無視して入所者を受け入れたことにある。これも光田が第3の目的を遂行するために,一人でも多くの患者を隔離したからであって,入所者のことなど二の次であった。

職員不足を補うため,光田が採用したのが入所者を労働力として利用する「患者作業」である。これもまた,光田の独善的な考えである「大家族主義」の強制であった。

こうした大家族主義に基づいて,「同病相愛」「相互扶助」の名の下に,従わない者は,園内のあらゆるつながりから排除されていくという恐ろしい強制力となって「患者作業」は強制されていった。

こうした「患者作業」こそが,ハンセン病により末梢神経の麻痺した入所者から,その指趾を奪うに至った元兇であり,「療養」のために入所したはずであるのに,社会復帰しえない障害を負わされるという背理を生み出した根本であることを考えると,その推進に使用された「大家族主義」なるイデオロギーの罪深さに改めて竦む思いを禁じ得ない。

光田健輔に決定的に欠如していたのは,患者の意志であり,患者の立場に立つという視点である。
光田は「救らい者」であって「救う側」の立場にいて,決して「救われる側」の立場に立つことはなかった。

「救う」という意識が強ければ強い程,救う側にいる人間が正しいと思うことは,救われる側にいる人間にとっても正しいはずだと信じて疑わないということだ。
自らが正しいと思って行動することが「救われる側」の人間にとってどのような意味を持つのか,ということを顧みることがない。
だから,救われる側の人間の人権とか人間としての尊厳あるいはその類の反抗といったことが,その考えに入り込んでくる余地がないのだ。
そのことはまた,「救う側」の人間が過ちを犯した場合に,その過ちに気付くことを決定的に遅らせることになる。

徳田氏の分析は的確である。
光田や彼の弟子,あるいは彼に賛同した多くの療養所関係者は,自らが「救う側」であるという立場的自意識から「救ってやる」という高慢さに気付くことはなかった。それゆえ,自らの言動がどれほど人間を冒涜する行為であり,歪んだ正義感と倫理観に基づく非人道的行為であったかについて考えることもなかった。


宮坂道夫氏は,「断種」「堕胎」を「ハンセン病患者たちの<性と生殖>への不当な介入」であり,それは「<パターナリズム>に基づく<性>の管理」であると断罪する。

…日本のハンセン病患者たちは,<性のいとなみを持ってもよいが,生殖をしてはならない>という特別な状況に置かれた。特に注目すべきなのは,<性の管理>が,<強制隔離政策による患者の不平不満を抑制する>という療養所運営の目的と結びついていたことだ。このような発想をした医師の書いたものには,患者たちの<性のいとなみ>を<隔離生活の中で得られる数少ない快楽>としてとらえ,<隔離政策の中で鬱積する不満のはけ口>として,その<恩恵>を与えてやろうというパターナリズムの態度が表れている。

パターナリズムとは,医師を<父親>に,患者を<子ども>になぞらえる倫理観である。光田のような医師は,<父親>として<子ども>である患者らに<恩恵>として「よかれと思って」,<性のいとなみ>を持つ機会を与え,<生殖>は厳しく禁じた。

宮坂道夫「『胎児標本』問題について考えるために」

宮坂氏は,「堕胎」「新生児殺」を「父親」(光田など医療従事者)が与えた「恩恵」を裏切って「妊娠」したことで「違反者」に下された「罰」の意味があったと言う。そして,ハンセン病政策の懲戒検束を<罰するパターナリズム>と提示している。

私は,この宮坂氏の考察に同感である。
この傲慢な「独り善がりの思いやり」が,一方で「自負心」となって自らの言動に対する自己正当化を助長し,他方で如何なる非人道的な行為であっても躊躇なく実行させるのだ。

「あなたのためだから」という大義名分と<パターナリズム>は,姿を変え,立場を変えて,現在も様々な場所で生き続けている。
そして,何よりも「教育の現場」において,無自覚のうちに生き続けている。私にはそれが最も恐ろしい。

posted by 藤田孝志 at 13:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 光田健輔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月05日

胎児標本

『ハンセン病市民学会年報2010』(島は語る 隔離の象徴としての“島”を再認識し,心の橋を架ける)が届いた。

本書を読みながら,過去の年報も読んでみたくなり,バックナンバー数冊を買い求めた。

2006年の年報では,小特集「胎児標本問題」が強烈な衝撃を改めて私に与えた。
シンポジウムで語られる被害当事者の生々しい証言と実態を読みながら,ハンセン病問題の闇の奥深さを今更のように感じた。


「胎児標本」について忘れられない思い出がある。

私の母校,校舎は建て替えられ昔の面影はない。当時は古い校舎で,理科室は北校舎1階西の奥にあった。理科準備室の廊下には標本棚があり,廊下からガラス越しに標本を見ることができた。蛇やウサギ,魚などがホルマリン漬けのガラス標本容器に入れられていた。
その中に,同じようなやや大きめの標本容器に「胎児」もあった。人形ではなく,人間であった。

大きさから考えても出産後か,それに近い胎児であったと思うが,頭髪はなかったような気もするが,目を閉じているが顔は確認できたし,手足も指もはっきりとしていた。

なぜ高校の理科室に,しかも廊下から誰(生徒)にでも見ることができる廊下に面したガラス標本棚に,他の動物と同じく並べられていたのか。

記憶が曖昧なのだが,病院から貰い受けたとも聞いたような気がするが,その当時は別段何とも感じることなく,ただ理科の授業でその前を通るとき眺めていた。時々,なぜ胎児の標本があるのだろうか,誰の子どもだろうか,等々の疑問が脳裏を過ぎるだけだった。

ハンセン病問題に関わるようになり,実際に「胎児標本」や「臓器標本」を見たり,その問題性について考えるようになったりする中で,何十年も忘れていた記憶が蘇ってきた。

大学に進学した後,教育実習のために母校を訪れたが,校舎が改築されて,その「胎児標本」も消えていた。荼毘に付されて弔われたのだろうか。

記憶を呼び起こしているのだが,別の「胎児標本」が理科準備室にもあったような気もする。

なぜ大学の医学部でもない高校に「胎児標本」があったのだろうか。

何よりも,当時の教師たち,生徒や保護者も目にしていたはずなのに,何の問題も感じなかったのだろうか。確かに私もその一人であった。

ハンセン病療養所に,それこそ無造作に置かれていた「胎児標本」の問題を考えるとき,「堕胎」「新生児殺」「解剖」が問題とされるが,胎児を「標本」化したこと自体も大きな問題であると思う。

医学・教育の名の下で,人間としての良心や感性が麻痺していたことが問題なのだ。「標本」は死者への冒涜である。


本書を読みながら,ハンセン病問題を象徴しているのが「胎児標本」であると強く思った。「胎児標本」が問題のすべてを示していると思う。

1 「胎児標本」のほとんどが「堕胎」「新生児殺」であった。

医者や看護師など医療従事者の倫理観の欠如を強く感じる。ハンセン病患者に対する当時の認識が如何なるものであったかを伺うことができる。

また,患者のため,医学の向上のためという「大義名分」「理由」があれば,このような非人間的な行為さえ,何の良心の痛みを感じることなく平然と行うことができる。

2 「断種」「堕胎」の目的は,絶対隔離・絶滅政策であった。

ハンセン病患者の「子孫」を残さないことが目的であった。ハンセン病は「感染症」であって「遺伝病」ではないにもかかわらず,なぜ「断種」「堕胎」がほとんどすべての療養所で長年に渡って行われてきたのか。

3 ハンセン病患者の「人間性」「人間の尊厳」を剥奪してきた。

結婚は許すが子供は作らせないということが療養所の中で行われてきた。子供を作ることは「恥ずかしいこと」「許されないこと」という意識を「医学の名によって」患者に植え付けてきた。人間として当たり前のことを望んではならない存在であると教化されてきた。

これらすべてが光田健輔の意志であり,彼の思想(光田イズム)によって生み出され,彼の後継者たちによって引き継がれてきた。


なぜ光田健輔は「断種」「堕胎」「胎児標本」を行ったのか。本書のシンポジウムの中で,藤野豊氏がこのことに関して的確にまとめている。

断種というものが始まったのが1915年,光田健輔という日本の隔離政策を推進した医師が多摩全生園,かつての全生病院で行ってきた,それが始まりです。…

…そこ(「断種の三十五年」)で光田健輔は,たとえプロミンがある今(1952年)においても断種するんだといっています。…男性患者の精子にはらい菌がついている。らい菌に侵された精子で妊娠すると,子供に受精段階から感染するかもしれない。…本当に精子によって感染することが医学的にあるのかどうか,多分ないと思いますし,光田健輔の思いこみかもしれません。しかし,彼は信念をもって,だから断種すると言っているんです。

もう一点,光田健輔はハンセン病の菌に対し免疫の弱い体質があると発言しています。その体質は遺伝するかもしれない。病気は遺伝しないがハンセン病の菌に弱い体質は遺伝するかもしれない。これも光田健輔が断種堕胎に執着した根拠だと考えます。

…医学的な証明はないままに断種や堕胎を強制したわけです。そして胎盤から感染するかも知れないということを何とか証明しようと思って,胎児を標本にしたわけでしょう。私はこれは明らかな人体実験だと思っています。つまり眼の前にたくさん解剖できる胎児がいる。この胎児を解剖して胎盤感染を証明したいと一生懸命堕胎した。

光田健輔の功罪をあらためて問い糾す必要を痛感している。そして,彼の政策に荷担してきた国家,医療従事者,そして「不作為」であった我々の問題を追及しなければならない。

posted by 藤田孝志 at 18:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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