2012年05月06日

「ハンセン病」問題学習の視点

1. 授業における「問い」と「視点」…何を考えていくか

@ ハンセン病問題において,どういうことが「差別」であったのだろうか。
  →「隔離」「排除」→同じ「人間として」扱われなかった。

A なぜ我々はハンセン病患者を(そのように)差別してきたのだろうか。
  →自分と「同じ人間」とは思わなかったから

B ハンセン病問題を「差別問題・人権問題」として考えたとき,我々は「ハンセン病問題」を通して何を学び,何を自分の生き方・あり方として受けとめなければならないのだろうか。


2. 上記の視点についての補足説明

・ 「隔離」「排除」が「差別」であることに気づかせるだけでなく,容易に「隔離」「排除」していく考え方やあり方を問うことが重要である。
・ 病気」「伝染病」という理由での「強制隔離」政策が肯定された背景に「排他的な考え方」がある。「自分さえよければいい」という考えがある。
・ 「病気」を「差別を肯定する理由」にしている。「ハンセン病だから」という考え方のまちがいに気づくことが重要である。これは,「自分とはちがうから」という考え方に通じる。部落差別と共通する差別観である。この考え方を正当化させる理由(根拠)として「遺伝」「伝染病」が広まっていった。差別に根拠はない。
・ 「うつる」危険を回避するために「うつる」前に「排除」し「隔離」する考えは,ケガレを忌避する考えと共通である。これも「遺伝」ということで結婚を認めない。「伝染」ということで排除し隔離する。ケガレがうつるのも,病気がうつるのも同じである。自分がそう(ケガレる・ハンセン病になる)なりたくないから,排除・隔離するのである。
・ 「病気」を「悪」「不全」「下」「外」とし,「健康」を「善」「完全」「上」「内」とする考えである。自分はどちらの側の人間でいたいか,という思いにとらわれたとき,人間は差別者になる。これが「差別意識」である。差別意識は「〜より優越でいたい」という思いから生まれる。「どちらの側に〜」という発想自体が「区別ではなく差別」である。
・ 一つの価値観を価値基準として,すべてに当てはめていくとき,区別が差別へと転換される。
・ ハンセン病が「遺伝病ではない」「うつりにくい(感染しにくい)」とわかり,治療薬が発明されても隔離政策(らい予防法)が破棄されなかった背景には,2つの理由がある。
1つは,人々や社会に広まっていたハンセン病に対する偏見が強かったことである。もう1つは,ハンセン病患者やハンセン病問題に対する関心が低かったことである。つまり,排除してきたことや隔離してきたことで人々の意識には強い偏見だけが残り,ハンセン病患者を「同じ人間」と思う人権意識がなく,ハンセン病患者の人権を問題とする世論そのものが皆無であった。
・ 強制隔離を肯定するためにも,偏見や差別意識は必要であり,社会啓発は邪魔であった。
・ ハンセン病は,人々の意識に偏見と差別意識を残しながら,一方で隔離政策を続行し,他方で忘却されていくことを故意に願っていたから政府や社会に黙殺されてきた。
・ 我々が必要とすべき「人権意識」とは「差別である」と気づくことができる「感受性」であり「感性」である。

※ 差別の克服過程

初め、少数者が、あることに苦痛を感じ、差別だと気づいて、時に迫害に耐えながらも根気強く社会に「それが差別である」と訴えていく。

社会の大多数者がその訴えに耳を傾けるようになり、その訴えをもっともだと思う人が出てくる。

次第に「差別だ」と思う人が大多数となり、「その差別」をしてはならないという意見が主流となり、やがて「制度」に取り込まれて、「その差別があれば、社会が是正する」というようになっていく。
社会のどこかで差別に苦しんでいる人がいれば、その訴えに耳を傾け、その差別の解決に取り組む人間を育てるこが人権教育・同和教育の目的(使命)である。


3. ポイント(我々に問われている生き方とは)

● 「正しい知識」をもつことは,偏見やこだわりにとらわれず,正しい判断をするために必要である。
● 自分の中にある「差別意識」を克服することは,正しい知識を得たときに,素直に,誠実に自分の誤りを認め,直すこと,改めることである。
● 知ったことに対して無関心にならないことである。無関心は自分の心を「物化」させることである。語らないこと,行動しないことは無責任である。
● 「正しいことを知るため」「正しく行動するため」には「誠実に生きる」ことが大切である。


4. 「金泰九さんの生き方が問いかけるものは何か」の視点

金さんは「何を語ろうとして」「なぜ語ろうとして」いるのだろうか,をメインの問いとするべきである。
→「差別を許すことは社会全体の不幸である」という金さんの言葉の意味を考える。

…「長い間人間らしく扱われなかった。だから,もう『予防法』もなくなったから『これからはもっと人間らしく生きたい』」こういうことなんですね。僕たちの場合は。でね,僕は常々,人を貶めることはしたくない。また人を侮蔑したり,だしぬいたりしたくないなぁと思っているんですね。それは結局自分を貶めることになるんだと思われるんですね。

…差別する人っていうのは,いつかは差別される側にまわるかもしれない。また,それを翻って考えると,差別する社会っていうのは全体の不幸だ。こういうことにみんなが気づいたらね,差別・偏見についての考え方がいくらか変わるんじゃなかろうか。何かがきっかけになって,そう思えるっていうのは大事だなぁと思うんですよ。ただ知識で,差別はいけない,偏見はいけないっていうことじゃなくてね。じゃあ,なんでそれがいけないんだっていうことを突き詰めていったら,差別・偏見は社会全体の不幸になるんだってことに少しでも気づいた場合,考え方はそこで変わってくるんじゃなぁと思うようになりました。

posted by 藤田孝志 at 13:57| Comment(0) | TrackBack(0) | ハンセン病問題学習 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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