2011年07月28日

強制隔離政策と光田健輔

「就実学術成果リポジトリ」に,『日本のハンセン病強制隔離政策と光田健輔』(山川基・小笠原真・牟田泰斗)と題する研究論文が掲載され,ネット上でも公開されている。

興味深いテーマではあるが,内容としては,藤野豊氏などの研究成果,国賠訴訟の裁判記録,検証会議報告書などが明らかにしたハンセン病問題の歴史的背景,特に国家による絶対隔離政策への光田健輔の関与と影響について簡略にまとめているという域を出てはいない。
国家の絶対隔離政策に深く関与したのは光田健輔である。彼の発言力は絶大であり,医学的権威として,常に国家によるハンセン病政策の方向を決定してきた人物であると言える。その意味で,日本のハンセン病政策・絶対隔離政策を解明するキーパーソンとして光田健輔を取り上げ,彼の動向(言動)と国家の政策を対比させながら整理することは重要であるし,私も相関関係は整理しておきたいと考えているが,本論文は表面的な動向を時系列に整理しただけであり,やや物足りなさを感じる。

藤野豊氏の『「いのち」の近代史』『ハンセン病 反省なき国家』などを参考にしながら,絶対隔離政策に及ぼした光田健輔の影響について整理してみたい。


光田健輔の関与について調べるほどに,彼がヒトラーと同質の人間に思えてくる。ヒトラーが自らの思想を実現するためにユダヤ人を抹殺したように,光田健輔はハンセン病患者を抹殺しようとした。

光田にとっての究極の「目的」は,地球上からハンセン病を完全に撲滅することであり,ハンセン病に罹患している患者の治療や救済ではなかった。
そして,その目的を達成するためには如何なる「手段」も正当化されたのである。つまり,患者を絶海の孤島に強制収容し,完全に隔離して,その中で「絶滅」させることも,ハンセン病患者を一人も増やさないために「断種」や「中絶」も,ハンセン病研究のために患者を「解剖」し,その臓器や堕胎した胎児を「標本」にすることも,これらすべてが「目的」のために肯定されたのである。


1876年に山口県で生まれた光田は,私立済生学舎に学び,東京帝国大学医科の病理特科で経験を積んだ後,1898年から東京市養育院に医師として勤務し,行旅病者のなかにハンセン病患者が多いことに注目,ハンセン病の研究に着手した。そこで知己を得た財界の大番頭渋沢栄一の人脈により政界・官界に食い込み,ハンセン病患者の絶対隔離政策の確立に深く関わった。そして,1909年に全生病院の医長に就任,1914年より院長となるやすぐに男性患者への断種を開始,1931年に長島愛生園長となり,戦後に至るまでその信念であった絶対隔離政策を推進,1951年にはハンセン病医療への貢献を評価され文化勲章を受け,1957年に愛生園名誉園長となり,1964年に死去した。

藤野豊『ハンセン病 反省なき国家』より

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2011年07月01日

光田健輔の「患者観」(2)

『島は語る ハンセン病市民学会年報2010』に集録された「総括座談 島の当事者の声を聴いて」より,徳田靖之氏と内田博文氏の発言から光田健輔の考えを検証してみたい。


1 「孤島隔離論」

1915年,光田健輔は内務省に「癩予防に関する意見書」を提出する。その中で,光田はハワイのモロカイ島のような絶海の孤島にハンセン病療養所を設置して患者を収容すべきであるという考えを明らかにする。翌年,内務省は光田の考えを正式に採用する。
徳田氏は,なぜ光田が「島」を選択したかについて次のように推察する。

…その第一は,「隔離の徹底」「隔離の完全化」ということだと思います。…完全に隔離することによってハンセン病の感染拡大を防ぐということが第一点であり,そして第二点として,島に隔離することを通じて完全に,ハンセン病と診断された人たちを抱え込むことができる。第三に,その上で,その島における療養所の中を完全に密室化できる。

孤島への収容ほど「絶対隔離」を実現するに適した方法はない。「絶対隔離」の条件は,社会との隔絶と脱走不可能である。完全ではないにせよ,離島はその条件を満たす最適の場所である。この条件が必要な施設は「刑務所」であって,「療養所」には不要である。光田は,ハンセン病患者の「療養」よりも,社会からハンセン病患者を「消滅」させるために「絶対隔離」を選択したと考える。ハンセン病患者をすべて収容し,完全に隔離し,社会と遮断することで,ハンセン病を社会から根絶しようと考えたのである。それは,まるで犯罪者を「遠島」に「島流し」した江戸時代の刑罰の発想と同じである。ハンセン病患者の立場ではなく,(患者以外の)社会の立場からの施策である。社会を守るために,患者を犠牲にする立場である。


2 「楽天地論」…パラダイス創造論

光田健輔が「孤島隔離論」を推進したもう一つの大きな理由は,島に療養所をつくることで,島に「楽土」「楽天地」「パラダイス」をつくり上げることができると考えたことにある。

光田は「社会の中で過酷な差別に晒されて,惨憺たる思いをしている人たちは,その社会の中で苦しみがますます増えていくっていう状況よりも,その社会から完全に隔絶された中で,同じ病の者同士が暮らしていくほうがはるかに幸せ」であり,「同じ病の者同士が生活共同体をつく」り「抜け出すことのできないという物理的状況の中で宗教的慰安と娯楽を与えれば,入所者たちは幸せになる」と考えた。
つまり,社会の中で過酷な差別を受けるよりも,社会から隔絶された孤島の中で,同じ病の者同士が生活共同体をつくって,宗教的慰安と娯楽を与えられて生活する方がハンセン病患者にとって幸せだと光田は考えたのである。

「孤島隔離論」の前提となる光田の認識をまとめれば,次のようになるだろう。

@ハンセン病患者は社会の中で過酷な差別に晒されている。
Aハンセン病は遺伝的要素をもち,感染力の強い,恐ろしい伝染病である。
Bハンセン病は完治することのない,不治の病である。

@は,ハンセン病に対して社会がもっている苛烈な差別と偏見についての認識であり,AとBは@の根拠ともなるハンセン病についての認識である。ただし,ハンセン病に対する光田の認識は社会が抱いているほどではないように思える。

光田健輔は『愛生園日記』に,次のように記している。

いままでにひとりのライ者も出したことのない家族の中から家族の中に,突然ひとりのライが発生しても,その家は未来永劫ライの血統であるという烙印をおされる。そしてその家族や子孫との結婚はおろか,交際もできない境遇に落ちて,過酷な差別待遇に苦しまなくてはならない。こうした精神的な苦痛があるばかりでなく,その肉体的な変貌はどうしようもない絶望の淵へ,人間をつき落としてしまう。

この認識が光田の「ハンセン病患者観」であり,それゆえの「絶対隔離推進論」である。彼のハンセン病に対する「不治の病」「遺伝病」「伝染病」,そして社会から絶望的なほどに嫌悪される差別の現実という根本的な認識は,特効薬プロミンの発明以後も終生変わることがなかったように思える。

なぜ光田はこの認識を変えることがなかったのだろうか。否,できなかったのだろうか。それは,彼のハンセン病医学の第一人者であるという頑強な信念と自負心によると思われる。そこには彼の屈折したコンプレックスすら感じられる。


3 「救らい思想」

光田健輔の強烈な自負心はどこからくるのだろうか。
徳田氏は,次のように考察する。

…光田さんの特徴は,それは自分が決める。ハンセン病療養所の医師や管理者が,入所しているみなさんにとって何が幸せかっていうのは自分が決めるという,そこにある。入所している方々にとって何が幸せかっていうのは,当事者自身が決めるべき問題だ。それを,園長が決めていく。たとえば,宗教的慰安と娯楽を与えることで幸せになる,なるはずだ。なぜそう思うのかっていうところに,私は,その「光田イズム」のもうひとつの特徴,「救らい思想」があると思うんですね。自分たちは,このハンセン病を患った上に社会的に過酷な差別に晒されている人たちを救うために,一生を捧げているという自負心,この「救う」という意識が,入所しておられるみなさん方にとって何が幸せかっていうことも,自分たちが決める。救おうとしている自分たちが,これが幸せだと思うことが,入所しておられるみなさんにとっても幸せであるはずだという,ここにあるわけです。

時代背景と,その当時の道徳観・価値観・社会観・人間観などが光田の人間性や考え方に影響を与えていることは確かではあるが,それにしても光田健輔の傲慢ともいえる剛直さには驚嘆する。
この光田健輔の自負心,剛直さを支えている「大義名分」が「救らい思想」である。

光田さんの特徴は,自分の方針に忠実で,あるいは自分を慕ってくれる人に対しては限りない「慈父」のような,すばらしい,なんていうか,配慮を示す大人物だったと私は思うんですけれど,逆らう者には過酷に弾圧を加えるといいますか,なぜそんなふうに入所者の方々に対する態度が二分するかというと,つまり「救らい者」というか,先ほど内田先生が言われましたけど,やはり神の上,高みに立っている人,その人が,「本当に気の毒なあなたたちのために私がやってあげるんだ」という,その意識の強さが,自分の方針に忠実に従おうとしている人たちに対しては限りなく「慈父」のような優しさを示し,最大の寛容さを示す。しかし,逆らう者に対しては,この「楽土建設を阻害する者」として「反逆者」として厳しく対処するという,二面性を持ってきているのではないか。

自分の主義・主張に賛同してくれる人に対しては友好的な対応をとるが,承認しない相手に対しては辛辣なイヤミと皮肉を執拗に繰り返す人間を知っているが,光田健輔の人間性と同種のものを感じる。


4 パターナリズム

光田健輔の姿勢の根本に「パターナリズム」があったと内田博文氏は考察する。

「強い立場にある者が,弱い立場にある者の利益になるようにと,本人の意思に反して行動に介入・干渉する」パターナリズム…「光田イズム」のバックボーンにそれがあったのではないかと思われるからです。

…この「名医」っていう考え方はあくまでも,医療従事者にとっての名医でして,患者さんにとっての名医という視点が,まったく欠けている考え方です。もうひとつ気になりますのは,この「名医」という考え方が,医師は神になる努力をしなければいけない。神に近づくことによって医師は名医になるんだ,というところに答えを求めているところです。…努力したからといって人間が全能の神になることはできない。この「できない」ことを率直に認めないところに,非常に大きな問題があると思います。

…光田健輔さんはまさに名医になろうとされた。名医になろうとされたがゆえに,ハンセン病について私はすべてよくわかっている。入所者のこともよくわかっている。患者さんのことも一番わかっている。だから,私が決めるのが一番患者さんのためになるんだ,入所者の方になるんだ,と錯覚してしまった。自分はあたかも「神」のような存在だと思ったというところに,大きな過ちがあったのではないかという気がします。

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2011年06月08日

「救らい思想」の陥穽

『プロジェクト 作為・不作為へ』(山本務・熱田一信編著)の第4章に「ハンセン病訴訟が明らかにしたもの」と題した徳田靖之氏の論考が収載されている。

徳田氏は,ハンセン病問題にどのような姿勢で取り組むべきかを示唆してくれた人物である。この小論の前半「1.不作為の責めを問われて」においても赤裸々に自らの弁護士としての「不作為の責任」を語っているが,国賠訴訟における彼の活動と姿勢は「傍観者」であった人間(私自身)がいかに人権問題と向き合って生きるべきかを教えてくれた。人権問題・差別問題に対する多くの視点も示唆してくれた。(これらに関しては別項にて書きたいと思っている)


ここでは後半「2.『救済』とは何か」について彼の論考をまとめておきたい。徳田氏の論考は,療養所に赴任した「医療従事者」の多くが崇高な「救らい者」であったにもかかわらず,何故に加害者と堕したのかという疑問を解明するために,光田健輔の思想と行動を分析したものである。

光田に対する評価は両極端に峻別される。「救らいの父」と崇められる一方で,冷酷な隔離主義者と酷評される。

徳田氏は,「従来の光田評価には,『救らい』を掲げながら,何故に非道とも言うべき人権蹂躙を犯すに至ったかを分析する視点が欠けていたのではないか」と考え,光田健輔の思想と行動の過程を考察していく。


島に移すというと残酷に聞こえるが,患者はあちこちで苦しめられるよりも,一つの楽天地に入ることを希望している。島に一つの立派な村落ができ,宗教的慰安や娯楽ができれば,そこは一つの楽天地である。逃走できない絶海の孤島にそういう設備を作れば,そこで一生を終えるという考えをもつようになる。

徳田氏は,光田健輔のこの言葉に「光田イズム」の核心を読み取り,次のように述べる。

社会内で苦しめられるよりも,社会から隔離された施設での生活の方が患者にとって幸せだという考え方
「逃走できない」状況に閉じ込め,宗教的慰安と娯楽を与えることで患者にその地を楽天地であると受け入れさせることができるという考え方

…光田は,病理学的関心から出発し,療養所長としての入所者管理の効率的遂行という目的意識から,その孤島隔離必要論や隔離政策論を展開していったのであり,光田イズムの形成過程においては,決して「救らい」といった旗印が鮮明にされていた訳ではない。

…光田の関心は,私立療養所を「支配」する「信仰」に代わる権威を求めていたのかもしれない。
療養所を「楽天地」にするといった発想も,懲戒権と結婚承認という両刀によって入所者を全面的に従わせようとした運営方針も,そうした意識の産物だったように思われるからである。

私は,この光田の傲慢で勝手な思い込みこそがハンセン病問題の元凶であったと思う。光田がこの思い込みに基づいて「苛烈なまでに自らの施策を貫徹しようとした」結果が「断種」や「堕胎」「懲戒検束権」「重監房」等々の非人道的な数々を生み出していったのである。

徳田氏は,これら非人道的施策を推進させた光田の論理,特に「断種・堕胎等の優性施策の必要性」を次のように要約する。

第1は,母体の病勢悪化の懸念である。
妊娠・分娩によって,女性患者の病勢がいっそう悪化するということが強調された。

第2は,生まれてくる児への悪影響である。
胎児感染の危険があり,将来発病する可能性が大きいとか,「病的精子」によって生まれてくる子は虚弱児となる可能性が大きいといった優性思想的な理由付けのほかに,仮に健康な子が生まれても養育する環境がないということが強調された。

第3は,ハンセン病患者に連なる血統を根絶するという理由である。

光田の特徴は,その理由付けを徹底的に使い分けた点にある。第1,第2の理由は,入所者に対する語りかけとして使用され,第3の理由は,対外的とりわけ国会や政府に対する表明として使用された。この第3の理由こそが光田の本音であり…

…光田の真骨頂は,その本音を秘し,あくまでも入所者に対しては,患者のためであり,生まれてくるこのためであると説き続けた点にある。

「あくまでも,あなたたちのことを思ってのことだ」という論理の独善性の恐ろしさを痛感する。この論理が自己正当化を引き出し,自らの問題性に気づくことを妨げ,視野を狭くさせる。


「長島事件」の原因となったのは,国家予算が少なく,医師・看護師・一般職員の人員も不足している状況にありながら,光田が定員を無視して入所者を受け入れたことにある。これも光田が第3の目的を遂行するために,一人でも多くの患者を隔離したからであって,入所者のことなど二の次であった。

職員不足を補うため,光田が採用したのが入所者を労働力として利用する「患者作業」である。これもまた,光田の独善的な考えである「大家族主義」の強制であった。

こうした大家族主義に基づいて,「同病相愛」「相互扶助」の名の下に,従わない者は,園内のあらゆるつながりから排除されていくという恐ろしい強制力となって「患者作業」は強制されていった。

こうした「患者作業」こそが,ハンセン病により末梢神経の麻痺した入所者から,その指趾を奪うに至った元兇であり,「療養」のために入所したはずであるのに,社会復帰しえない障害を負わされるという背理を生み出した根本であることを考えると,その推進に使用された「大家族主義」なるイデオロギーの罪深さに改めて竦む思いを禁じ得ない。

光田健輔に決定的に欠如していたのは,患者の意志であり,患者の立場に立つという視点である。
光田は「救らい者」であって「救う側」の立場にいて,決して「救われる側」の立場に立つことはなかった。

「救う」という意識が強ければ強い程,救う側にいる人間が正しいと思うことは,救われる側にいる人間にとっても正しいはずだと信じて疑わないということだ。
自らが正しいと思って行動することが「救われる側」の人間にとってどのような意味を持つのか,ということを顧みることがない。
だから,救われる側の人間の人権とか人間としての尊厳あるいはその類の反抗といったことが,その考えに入り込んでくる余地がないのだ。
そのことはまた,「救う側」の人間が過ちを犯した場合に,その過ちに気付くことを決定的に遅らせることになる。

徳田氏の分析は的確である。
光田や彼の弟子,あるいは彼に賛同した多くの療養所関係者は,自らが「救う側」であるという立場的自意識から「救ってやる」という高慢さに気付くことはなかった。それゆえ,自らの言動がどれほど人間を冒涜する行為であり,歪んだ正義感と倫理観に基づく非人道的行為であったかについて考えることもなかった。


宮坂道夫氏は,「断種」「堕胎」を「ハンセン病患者たちの<性と生殖>への不当な介入」であり,それは「<パターナリズム>に基づく<性>の管理」であると断罪する。

…日本のハンセン病患者たちは,<性のいとなみを持ってもよいが,生殖をしてはならない>という特別な状況に置かれた。特に注目すべきなのは,<性の管理>が,<強制隔離政策による患者の不平不満を抑制する>という療養所運営の目的と結びついていたことだ。このような発想をした医師の書いたものには,患者たちの<性のいとなみ>を<隔離生活の中で得られる数少ない快楽>としてとらえ,<隔離政策の中で鬱積する不満のはけ口>として,その<恩恵>を与えてやろうというパターナリズムの態度が表れている。

パターナリズムとは,医師を<父親>に,患者を<子ども>になぞらえる倫理観である。光田のような医師は,<父親>として<子ども>である患者らに<恩恵>として「よかれと思って」,<性のいとなみ>を持つ機会を与え,<生殖>は厳しく禁じた。

宮坂道夫「『胎児標本』問題について考えるために」

宮坂氏は,「堕胎」「新生児殺」を「父親」(光田など医療従事者)が与えた「恩恵」を裏切って「妊娠」したことで「違反者」に下された「罰」の意味があったと言う。そして,ハンセン病政策の懲戒検束を<罰するパターナリズム>と提示している。

私は,この宮坂氏の考察に同感である。
この傲慢な「独り善がりの思いやり」が,一方で「自負心」となって自らの言動に対する自己正当化を助長し,他方で如何なる非人道的な行為であっても躊躇なく実行させるのだ。

「あなたのためだから」という大義名分と<パターナリズム>は,姿を変え,立場を変えて,現在も様々な場所で生き続けている。
そして,何よりも「教育の現場」において,無自覚のうちに生き続けている。私にはそれが最も恐ろしい。

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2010年07月29日

光田健輔の「参議院証言」

らい予防法改正に大きな影響を与えたといわれる昭和二十六年の参議院厚生委員会での「三園長証言」について,光田健輔本人が『愛生園日記』に「患者を刺激した参議院証言」と題して一文を書き記している。抜粋して転載しておく。

(1)わが国のライ患者の分析と治療の問題 (2)ライ予防と治療の問題 (3)貞明皇后記念事業の問題 (4)国立ライ研究所の問題

この四項目の質問に対して,それぞれの証言があったのだが,私の発言だけをまとめてみると,次のようなものである。

(1)に対しては―ライの分布をよく研究して,その濃厚なところに目をつけ,強制的に収容しなければ効果はあがらない。ライ予防事業のうちで,最も重要なことは,患者とその家族の生活保障をすることである。また諸方で患者の分裂抗争があって,治安が乱れているので,この防止のために法を改正する必要がある。そこで一罰百戒の精神から「逃走罪」というような罰則がほしい。 (2)の問題に関しては―ライ予防のための優生手術(ワゼクトミー)を勧めたい。また最近では治療が進んで潰瘍は直るが,神経の中にまでかくれている菌をなくすることはできないから,再発はまぬがれないという点も十分に考えなくてはならない。それから韓国からの密航ライの対策を急ぐことと,それから沈殿患者のために法の改正が必要である。 (3)に対しては―共同募金よりも別の時期の募金が望ましい。従来のライ予防協会を改組して強化しなければならない。 (4)の問題は―1日も早く設置すると同時に,各療養所の研究施設の充実が望ましい。 と答えたのであった。

私の証言で患者を刺激した点は,(2)の質問に関して「沈殿患者の入所を促進するためには法の改正が必要である」ことを説明した左の点である。

「厚生省の統計では療養所にはいっていない患者がまだ二千人くらい残っている。それを早く収容しなければならない。これらの患者には県庁とか保健所の係員,または療養所の職員が入所を勧めるのであるが,簡単にはおうじないのが実情である。これらの患者を強制的に収容することは実際にはできない状態である。以前は警察がやっていたが,現在は保健所がやっているから収容がむずかしい。この点に関する法律の改正が必要で,要するに強権を発動させなければ,家族や近隣へ伝染するばかりで,なん年たってもライ予防の効果はあがらない。 …内務省の主管であったころのように警察官がつれてくるのではなくて,保健所の手に移ったのであるから,特に最後の決め手がなくては,収容しにくい場合もある。だから入所を拒む場合は手錠をはめてでも入れなくてはならない…」 と証言した点である。

手錠などとけしからん―というわけで,説明会が開かれたのだ。…私は患者たちから執拗に証言の取り消しを要求された。 「この証言は私の生涯をかけた学問的な研究と信念から,当然のことをいったまでだから,取り消すわけにはいかんよ。証言を撤回することは,私の学問の価値を動揺させることだ,それが不承知で,どうしても取消しを要求するなら,まず私の首をはねてから先へ進んでくれ…」 私は首を前へつき出した。私以外の証人は,私ほど激しいことはいわなかったが,あっさり証言を取り消されたようである。私は患者に殺されることなどは,少しも恐れていない。もしも私が殺されたら,なぜこういう事態になったかについて,患者たちがよくよく考え及んでくれる,いい材料になるであろうと思った。
長い引用になったが,光田健輔の強固な意志と信念を伝えていると思う。その反面,彼の独善性と頑固さが際立つ発言でもある。要するに,彼の目的は「ハンセン病の完全根絶」であり,そのためにはハンセン病患者の「完全隔離」が絶対条件であり,これ以上の感染を防止することであった。つまり,現在のハンセン病患者をもって終わりにするためには,「終生隔離」「断種」「中絶」が不可避であった。 そして,「完全根絶」のためにはハンセン病患者を犠牲にしても仕方がないと,彼は考えていたのである。
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光田健輔と「特別病室」

光田健輔の『愛生園日記』に「ライと人権」と題した一文があり,その中で「特別病室」に言及している。

…昭和二十二年五月になって,草津の栗生楽泉園に一つの事件が勃発した。それは楽生園の「特別病室」が問題となったのである。楽生園には昭和十三年以来,全国ライ療養所長会議できめて,ライ刑務所がないために,全国の療養所でもて余すような不良患者を楽泉園の「特別病室」へ送ることになっていた。社会におれば前科何犯といわれるほどの凶悪な患者をここへ送ることで,他の療養所がどのくらい助かっていたかわからない。その特別病室を不当な人権圧迫だとする患者の主張が通って,とり壊されたばかりでなく,園長は休職となった。

戦後はとくに人類の福祉が重んぜられ,また人権が尊重せられるようになって,まことに結構なことである。ただ人類の福祉のためにライを予防するのであり,予防の手段として隔離をするのである―という本末をわきまえずに,しかも過去数十年間のライ予防と療養所管理がどれほど困難なことであったか,なぜ特別病室のような監禁室が設けられるようになったのかの歴史も過程も研究しないで,人権擁護という甘いことばだけに陶酔している一部の人々もあるようだ。それらの人々が安価な感傷におぼれて,かえって人類の福祉をかき乱そうとしている自分たちの罪に気づかないのである。

特別病室をとり壊す前に「ライ刑務所」が設立されなくてはならなかったのである。どんな悪徳犯罪者でも,ライ患者であるために,送る所がないとすれば,療養所を生涯の住み家としている人々の平和は,だれが保証してくれるのだ。私はライ療養所長であるが,拘置所の所長を兼ねてはいないのである。

実態や事実を実際に見聞もせずに,憶測・推測だけで解釈する人間は少なくない。独善性の強い人間には,その傾向が強い。いわゆる思い込み,先入観から結論を先に出しての解釈である。また,一部の自分の出した結論に近い事象を取り上げて,その事象を全部に拡大させての解釈やこじつけによって自分の主張や考えを根拠づけようとする。
詭弁を弄しているとしか思えないこともある。その際,この人はどこまで実際に見聞したり事実を知っているのだろうか,直接に見ているのだろうか,と疑いたくなる。
根拠の提示にしても,権威者や学者,研究者の説や意見を都合よく引用しているだけで,まるで「虎の威を借り」ての自己正当化である。それも一方的な見方からの解釈である。

光田健輔は,実際に「特別病室」を見学したことがあるのだろうか。自らが送った患者が「特別病室」で,どのような監禁生活を過ごしているか,その過酷な処遇を知っているのだろうか,看護長であった加島正利の行為を光田は知っていただろうか,と思う。
彼はほとんど文章上の報告でしか知らなかったのではないだろうか。しかも,然したる関心も興味ももたなかったのではないだろうか。

彼にとっては自分の意に沿う患者のみが彼の「家族」であり,愛情を注いで保護し慈しむ「子供」であった。自分に逆らう患者は「不良患者」でしかなく,排除の対象として「懲戒」すべきであった。
彼の「パターナリズム」である。彼にとっての「人権」とは,彼の求める「患者」のみに認められるものであった。

療養所内における治安維持という大義名分によって「監禁室」「特別病室」「懲戒検束権」がつくられたのである。ここでも,目的のために手段が正当化されたのである。

実態を知ることもなく,何が行われているかも知らず,報告書や他者からの情報をもとにした机上の憶測,自分の考えを正当化するための独善的発想によって,人間の尊厳が冒涜され,非人間的な行為が肯定され,生命さえ奪われていったのだ。


私は,光田健輔を通して「独善性の恐ろしさ」を痛感する。このことは何も光田だけでない。個人的な遺恨によって,執拗に他者を攻撃しても心が痛むことさえない人間もいる。私には虚しいこととしか思えないのだが,光田と同じく,使命感と信念で自己の言動を正当化している人間もいる。私には単なる自己満足のためとしか思えないのだが。

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光田健輔と「懲戒検束権」

光田健輔たち療養所の医師は患者の反抗に対して御しきれないことへの苛立ちがつのっていた。彼らはこのような患者を収監する刑務所を政府に要求していたが,実現しないため,次善の策として「懲戒検束権」が与えられたのである。

この状態については最初から対策を要求していたのであるけれども容易に改められることなく,長い間,暗黒時代がつづいてわずかに秩序の維持ができたのは職員の忍耐と親切による徳化だけであった。
1916年にようやくこれに対する規定が改正せられて,国立療養所長は「命令の定むる所により入所患者に懲戒,もしくは検束を加うることを得る」ようになった。この一項が加えられたために療養所の気風は一変した。絶えたのではなかったが風潮としての不得はかげをひそめ,善良な患者がのびのびと各々の善行の萌芽を生長させたので,制裁の制度は秩序を整えるために著しく役立ち,療養所改善に積極的な意義をもつものであった。

光田健輔『回春病室−救ライ五十年の記録』

ハンセン病患者のなかに無法な行為をするものがいる。それを通常の司法制度によって罰することができない。そのために,処罰の権限を療養所長に与えたのは当然であるという論理である。

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光田健輔の「独善性」

本人が「善意」あるいは「真正」と思い込んでいる場合,それを「独善」であると本人に認めさせることはむずかしい。
彼は自分の言動を「正しいこと」であると信じ,行為を「善意」から行っていると信じているからだ。その思い込みと自負心が強ければ強いほど,信念は揺るぎないものとなり,自らの言動も行為も省みることはない。まして他者からの批判を受け入れたり,自分の主張や意見を改めたり,まちがいを訂正したりすることなどは皆無だ。
なぜなら,すべてにおいて「自分は正しい」と思い込んでいるのだから。たとえ,論理に一貫性を欠いていても矛盾していても,他者の主張や意見を曲解・歪曲していても,自らは「正しい」のである。それゆえ,自らの言動も行為も,それがいかに他者に対して理不尽なものであり,不快感と嫌悪感をあたえるものであろうとも,人権を無視したものであろうとも,自分の中では正当化されるのである。


光田健輔が絶対隔離政策を推進し,患者に断種・中絶を強制し,懲戒検束権を求め,遺体解剖を際限なく繰り返したことも,彼の「ハンセン病撲滅」への使命感と「善意」からであった。
この強烈な使命感と自己犠牲の「善意」によって,彼は自らの「独善性」に気づきはしない。

二十一才ではじめてライ患者に接触以来,八十二才の今日まで,この仕事一途に没頭してきて,いまさら仇敵呼ばわりされるのは,さびしくないこともないが,それがライ医学者の宿命だと,私は思っている。しかしたとえライ患者から仇敵といわれようと,時世を知らぬ頑迷固陋とののしられようと,私は一歩も退くことはできない。私は社会をライから守る防波堤となって,堤がきれたら自分のからだを埋めて人柱となろうという,命がけの決心で暮らしてきたのだ。

光田健輔『愛生園日記』「八十二才の白頭爺」

この強靱な信念に支えられた自負心は,他からの意見など受け付けはしない。国際らい会議の決議など彼には馬耳東風であった。

1909(明治42)年,ノルウェーのベルゲンにおいて開かれた第二回国際らい会議では,次のことが決議された。らい菌は感染力が弱いこと。隔離は患者が同意するような生活状態のもとにおける方式が望ましいこと。隔離には家庭内隔離もあること。放浪患者の施設隔離については法による強制力の行使がやむえない場合があること…など。
しかし,このように国際会議が強制隔離の制限に向かっているのに対して,逆に日本は強制隔離の対象をすべての患者に広げる動きを具体化する方向へと進んでいった。そのきっかけは,1915(大正4)年に光田健輔が提出した「癩予防ニ関スル意見」であった。
その内容は,ハンセン病を予防するには放浪患者の隔離だけでは不十分で,全患者を離島に隔離することと,そのための受け皿として府県立連合療養所を拡張・新設することが必要だ,というものであった。
そして,この意見を提出後,彼は全生病院において療養所では初めての断種手術を実施している。

ワゼクトミー(断種)は国法で禁じられている。光田は弁護士や専門家に尋ねてみるが,「他の第三者が告訴すれば傷害罪を構成する」と教えられる。

善意と誠実でやることだ。勇気を出さなくては,何事もできるものではない。私が告訴されれば刑務所へ行くまでのことだと覚悟をきめた。

同書「ワゼクトミー」

1916(大正5)年,「癩予防ニ関スル件」が一部改正されて,所長による入所者に対する懲戒・検束の規定が定められた。光田健輔の意見が採用されたのである。さらに,同年に内務省に設置された保健衛生調査会は,1920(大正9)年に「根本的癩予防策要項」を決定する。この中には,患者の請求による生殖中絶方法の施行も含まれていた。


1923(大正12)年,第三回国際らい会議がストラスブールで開かれ,次のことなどが決議された。
ハンセン病の蔓延していない国においては病院又は住居における隔離はなるべく承諾の上で実施することを原則とすること。流行が著しい場所では強制隔離が必要だが,この場合,隔離は人道的に行い,かつ,十分な治療を受けるのに支障がない限りは,患者はできる限り家族に近い場所に置くこと。

この会議に出席した光田健輔は,本会議での「治療は必要だが,隔離は不必要」という発言などに対して,逆に「癩問題の危機」を感じ,帰国後に発表した論文で,次のように主張している。
患者は隔離所において治療するのが最も安全であり,軽所治癒しても療養所外では再発の可能性が高いので,療養所内にとどめて,適当な作業や重症者の看護に従事させ,院内の福利を増進することを奨励すべきである。

逃走者はあとを絶たず,悪質者を処罰する方法もない。何とかして逃亡者のない療養所にしなくてはならない。逃亡者を防ぐ道は第一に居心地のよい療養所にすること。第二には逃走できない場所を隔離すること。こうしたことを念頭において,私の意見書はできあがった。

同書「ライ予防方策 意見書の提出」

ヨーロッパ諸国が隔離政策を廃止する方向へと向かっていたのに対して,光田は終生隔離を主張したのである。光田の意見書の背景には「逃走者」の実態があり,それは彼の目指すハンセン病撲滅に対する最大の障害となる「感染」拡大につながるという考えがあった。彼にとっては「感染力が非常に弱い」という国際らい会議の見解は,感染力がゼロでない以上は拡大する危険性をもつとの認識から否定されるべきものであった。
ここに光田の完全主義とともに「撲滅」という至上命題を遂行するためには手段を選ばない強固な「独善性」をみる。彼にとっては「ハンセン病」は「敵」であり,感染源であるハンセン病患者もまた否定されるべき「敵」であった。

この光田の見解は政府に影響を与え,国際的な動向と乖離して,日本は絶対隔離へと進んでいくのである。


では,なぜ光田は「絶対隔離」にこだわったのだろうか。
『ハンセン病 検証会議の記録』(内田博文)から引用してみたい。

…それは,第三回国際らい会議で,インドでハンセン病医療に取り組んでいたロージャーが,日本のハンセン病患者を10万人と報告したからであった。光田は,この時,ロージャーが作成した国別患者表を引用し,「血統の純潔を以て誇りとする日本国が,却って他の欧米諸国より世界第一等の癩病国であることがわかる」と慨嘆した。血統の純潔を以て誇りとする日本国が「野蛮未開の土人」と同列になる屈辱,光田は,こうした意識からも他の伝染病と等しく絶対隔離する道を強行したのである。

続けて,当時の政治情勢との関連について,次のように述べている。

光田の見解が政府に影響を与えたのには,当時の政治情勢が大きく与ったといえる。1930年代に入ると,世界的にブロック経済化が目指されるようになった。日本も,東アジア圏における領土拡大をねらい,ヨーロッパ諸国に対して日本の独自性,優位性を強調するようになる。このような政治情勢の中では,第三回国際らい会議の決議に従うべきだとの考えは醸成されにくかったと考えられる。反対に,光田の発案によって開始された五千人収容計画が,ハンセン病を国辱と考える国粋主義や,隔離を正当化する社会防衛論等にも支持されて進められていくことになった。

確かに「時代の制約」はある。政治情勢・社会情勢,さらにはその時代や社会の主流となっている思想や価値観,倫理観の影響は,個人の意思や考えに深く影響を及ぼしている。だが,時代も社会もまた個人の意思や考えを反映している。個人と社会の相補的・相乗的な関連の中で,国家としての体制も政策も構築されていく。


キリスト教などの宗教者が「慰問」に訪れてハンセン病患者に信仰による救いを説くことで慰めと癒しをあたえた一方で,非人道的な隔離の実態に対して,出入口を別にされたり「垣」で仕切られたりしていることに何ら抗議もせず,ただ傍観していただけのように,「検証会議」が指摘する宗教者の責任もまた追究されなければならない。

同様に光田健輔に関しても,その功と罪の両面について追究すべきである。
私は光田健輔のハンセン病撲滅に賭けた生涯,自己犠牲を厭わない使命感,さらには彼によって多くの浮浪癩であった患者たちが救済された実績を否定するものではない。このことは正当に評価すべきであると考えている。
一方,彼によって推進された日本のハンセン病政策のまちがい,そして罪過に関して検証していくことは今後の人権問題について重要な教訓を導くことになる。

posted by 藤田孝志 at 04:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 光田健輔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

光田イズム

松本信(元多摩全生園自治会長)著『生まれてきたのは何のために』によると,「光田イズム」とは,民族浄化の名の下に,終身隔離と,ワゼクトミー(断種)によって,ハンセン病患者とその子孫を,地球上から抹殺することに一生を賭けた,光田健輔の狂信的な民族主義,超国家主義をさす。麦の中の黒穂病を抜き取るように,患者とその子孫を根絶しようとしたのが,光田イズムなのである。

藤田真一編著『証言・日本人の過ち-ハンセン病を生きて』

ハンセン病を語るとき,光田健輔について語らねばならないだろう。


光田健輔には『愛生日記』『回春病室』の二冊の著書がある。『愛生日記』は数年前に偶然古書店で見つけたが,『回春病室』は探しても見つからず,図書館にて読んだ。
しかし,こうした資料は手元に置いておきたくて,先日ネット上で探していて,ようやく見つけて購入した。昭和25年発行,定価150円,経年焼けはあるが,しっかりしている。その古書店のネット目録には「珍本」と表記されていたが,確かにそうだろう。売価も数十倍の値が付いていた。

この2冊をもとに,光田健輔という人物について検証してみたい。
ただ,この2冊を読み返しながら,苛立ちとも不快感とも言える怒りを禁じ得ない。それは,彼の強靱な信念と自負心への嫌悪感かもしれない。時代の制約を考慮しても,彼の独善的・高圧(威圧)的な考え方と方針には納得できない。

検証会議の記録を読んでも,光田が当時のハンセン病医学界の動向を知っていながら無視していたことは明らかである。なぜ,彼はここまで頑なに自分の意思を貫こうとしたのか。

posted by 藤田孝志 at 04:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 光田健輔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月28日

光田健輔の「患者観」(1)

―全国にはどのくらいの病者がいるのか見当もつかない。おそらく十万人くらいはあるとさえ考えられるのに,政府も,社会もこれに対して何の手段も考えていない。したがって病者はいたるところにその病毒をふりまいて,はばかることなく,社会はそれをおそれるけはいもない。 たまにこの病者に同情して救いの手を伸べたものはすべて外国の人々である。外国人の好意だけに甘えて,世話になって,政府も個人も何とも考えていないらしいのである。 私は義憤を感じた。この恥ずべき病者を多くもっていることは文明国の恥である。さらにそれを街頭にさらして何の方法もとらないことは,何という情けないことであろう。

―即ちライは,最愛の家族に感染させてその生命をほろぼすとともに,その部落を汚し,村を汚し,地方全体にそのわずらいを及ぼすのである。互にその害を避けるためには早く療養所に入って治療を受け菌を外部に散らさないようにすることである。それが最上の道なのだ。家を潔め,村を浄め,県を清めて国からライをなくしてしまう。そのためには,「一人のライも健康者の中に交じっていてはならないのである」―
光田健輔の『回春病室』より上記の一文を引用した後,徳永進氏は『隔離−故郷を追われたハンセン病者たち』で,次のように光田を批判する。
光田健輔の「祖国浄化」への熱意が,らい者に悲しみを強制した。光田健輔は確かに,らいを病むことの悲しみを社会的に最小限にくいとめるために隔離をはじめた。しかし,隔離のやり方の中で,彼はいくつかの間違いを犯した。
徳永氏は,光田の「隔離」の間違いを,「終生」と「強制」にあるとし,それは彼が「生活者としてらい者をみることよりも,この国から一人のらい者もなくするのだという官吏の立場をいつも優先させた」からだという。

らい医学会の権威者でもあり,官吏でもあった彼の完全隔離実施の考えそのものが,国家のらい者への拒絶となり,それが上から下へと指令され,日本中の故郷へ広がっていったのだった。 そして拒絶は,国家の側からだけに留まらなかった。国家の意図に貫かれた故郷の人たちの側からもあった。多くのらい者が聞き書きのなかで,故郷の人たち,そして家族の人たちの拒絶のことを語っている。

先の引用の中にも光田健輔の「ハンセン病」及び「ハンセン病患者」に対する見方・考えが端的に表れている。例えば,「この恥ずべき病者を多くもっていることは文明国の恥である。」「ライは,最愛の家族に感染させてその生命をほろぼすとともに,その部落を汚し,村を汚し,地方全体にそのわずらいを及ぼすのである。」という表現であり,この表現のどこに「同じ人間」として「ハンセン病患者」を見ていると言えるだろうか。

ハンセン病患者を「座敷ブタ」と呼んでいた光田健輔の「患者観」とは如何なるものだったのだろうか。 光田健輔が書き残した論文や随筆はそれほど多いものではない。また,現在それら殆どは,図書館にあればよい方で,古書店でも入手困難な状況である。 光田健輔には2冊の自叙伝がある。『愛生園日記』と『回春病室』である。古書店より購入したこの自叙伝を通して,光田の患者観について考えてみたい。

私は光田健輔について調べるほどに,特に彼の書いた文章を読むほどに,彼の頑固と言えるほどの意思と信念の強固さを感じる。 ハンセン病の専門医師として自分の考えこそが唯一絶対であるという「自負心」をもち,他者の意見を受け入れることもなく,まして自分の考えや理論に反対する者には過敏な反応をし,容赦なく執拗に攻撃する。 彼の偏狭な正義感と思い込みの激しさ,自意識過剰な言動は,対人関係において「自分に賛同する者には限りなく優しく愛情を注ぐが,自分の意に沿わない者や反抗する者に対しては冷酷なまでの仕打ちを行う」という両極端な対応をみせる。 このようなタイプの人間を時として見かけることもあるが,光田ほど極端な「自己愛的人間」と「同質の体質」をもつ人間は一人しか知らない。光田健輔もその人物も相当に変わっていると思うが,私とは決して相容れることのない「異質な」人間であることは確かである。

ところで,誤解なきように書いておきたいが,私の目的は光田の人間性や人格を分析することではない。また,彼の「差別性」を暴き,糺弾することでもない。私は光田健輔という人間自体には興味も関心もない。彼を通して,彼の生きた時代背景や社会意識,思想などを考察することで,わが国のハンセン病史をまとめてみたいのである。
posted by 藤田孝志 at 22:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 光田健輔 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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