2011年07月13日

ハンセン病問題史

ここ1ヶ月ほど,今までに購入していなかったハンセン病関連の書籍を買い求めて読み耽っていた。

藤野豊氏のハンセン病関連の書籍はほとんど読んできたが,なぜか躊躇していたのが『「いのち」の近代史』である。大部であり,近代ハンセン病史ともいえる内容であり,落ち着いてじっくりと精読したいと思っていたのが理由だ。ハンセン病問題については,その歴史背景をまとめてみたいと考えているので,そのときに中心的に読もうと思っていた。 しかし,本書の中で興味のある章から読み始めてみると,藤野氏の軽妙な語り口と切り口の明快さから時間を忘れ,つい読み耽ってしまった。

藤野氏の文章は読みやすく,資料の引用や文章構成が的確である。 だらだらと長いだけの饒舌な文章,くどいだけでしかないのに同じ表現・表記を多用(しつこい繰り返し)するといった独り善がりの文章ではない。そのような文章がブログ上に多く見られる。一体何が言いたいのかよくわからない。特に,他者に対する感情的な非難や誹謗中傷の場合,いくら本人が「批判」であると言い訳しようとも,その文章からは個人攻撃に終始する悪意と敵意しか読み取ることはできない。 それらに比べ,藤野氏は簡潔に結論を述べ,資料を考察して根拠を明らかにし,問題点に言及する。だから,彼の著書や論文はわかりやすいのだと思う。

今回,『「いのち」の近代史』,その続編『ハンセン病 反省なき国家』,『ハンセン病と戦後民主主義』を通読して,ハンセン病の歴史的背景を国家による意図的な政策という視点から的確に理解することができた。 それは,国家の進路を政治的に担ってきた人間と,ハンセン病対策に関わってきた光田健輔たち医者との「意志」が強く相補的に反映された結果であった。

個人の悪しき「意志」が国家に反映されたとき,時代を超えて共通の悲劇を生み出す。 今回の福島原発に関連する不祥事もまた同様である。国策に関わる人間の「意志」や「思想」が人間の運命さえも左右してしまう。

光田健輔らのハンセン病撲滅への願いは正しかった。だが,その方法論と,患者を犠牲にすることでハンセン病を日本から撲滅させようとする「意志」がまちがっていた。 時代に翻弄され,ハンセン病撲滅が急務であったとしても,患者を隔離することで「隠蔽」と「感染防止」を実現させ,患者の死をもって「撲滅」を完遂させようとする「意志」は決して許されない。 【目的は手段を正当化してはならない】
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2011年06月26日

三種の神器−啓発の問題点

『ハンセン病市民学会年報2009』に,分科会B「啓発活動の在り方を検証する」をテーマとしたシンポジウム報告が集録されている。


前邑久光明園園長の牧野正直先生が「三種の神器」と呼ぶ「ハンセン病に関する啓発パンフレット」の問題点が提起されている。その問題点は,次の3点である。

@「うつりにくい感染症です(ハンセン病は感染力の弱い感染症)」
A「遺伝病ではありません」
B「完治する病気です」

これについて医学的立場から,アイルランガ大学客員教授の和泉眞藏先生が明確に答えているので,彼の発言をまとめてみる。

@について
日本人については感染力が弱い。感染力が弱いのではなく,感染力は「状態」によって変わる。多様性を持って変わる。だから,現在の日本ではハンセン病はうつらない。なぜ発病しないかというと,日本人の免疫力が非常に強くなったからである。

Aについて
感染症であるから菌がいる。それの感染を受けた人間がいる。人間の側の要因があり,これが感染を受けた後,発病するかどうかに影響する。それは「遺伝的素因」によってかなり決まる。
癌にしても糖尿病にしてもいろんな疾患を含めて,遺伝的素因の影響が当たり前のように語られる。それと同じ意味でハンセン病も遺伝的素因が関係する。ハンセン病も他の病気と同じように遺伝的素因が関与するが,普通の病気である。

Bについて
ハンセン病が完治するためには「まともな医者がまじめに治療すること」が条件である。

この「三種の神器」は,かつてのハンセン病が「怖い遺伝病」であるとか「恐ろしい伝染病」であるとかという極端な認識を否定するために逆に強調された結果である。

これも光田健輔の大罪の一つである。「怖く,恐ろしい病気であり,感染しやすく,遺伝もする病気で,発症したら一家全部が悲惨な結果に陥る」というハンセン病観を宣伝し,人々の認識に植え付けた。危険な病気であることを強調することで,排除・隔離・絶滅することを肯定させた光田イズムの弊害である。
人々や社会に浸透している「まちがった知識と認識」を否定するために,必要以上に「安全な病気」であることを強調したのである。

私は「振り子の針」であると思う。片方に強く振りすぎた結果,それを強く戻そうとする(否定しようとする)あまり,今度は逆方向に強く振りすぎてしまったのである。

ハンセン病を「特別視する」のは間違っている。普通の病気である。このことを強調すべきであり,啓発の中心に置くべきである。


同様に,啓発の問題点の一つに「日常生活ではうつりません」がある。よくHIV感染病のパンフレットに書かれる言葉である。ハンセン病でも使われることがある。

「日常生活ではうつりません」,こういう言葉がよく書いてあるんですよ。そうするとみなさんね,ああハンセン病はうつりにくいのだなと思うんですけど,実際は違うと私は思います。日常生活,普通の生活しかしていないわけですよ,みんな。それでいてハンセン病にかかっている。

…セックスというのは日常生活ではないということになりますね。HIVは性的にうつる場合が多いわけですから,そうなのかということですね。ハンセン病もまったく同じで,普通の生活をしていた人がなるわけです。

…だからほんとに「日常生活ではうつりません」という言葉はいいのかどうか,それによってなんか変な安心感をみんなに与えているような啓発,これは根本的に問題があるのではないかと思います。

(上記シンポジウムでの牧野正直氏の発言)

「日常生活ではうつらない」という啓発には,次のような問題がある。

病気にかかった人は,「特別な生活をした人」であって,「普通の生活をしている自分」とはちがう人間であるという新たな偏見・差別を生み出すと同時に,自分には関係のないことなんだという逆効果が生まれる。

逆に,「感染力が強ければどうなのか」という場合,この発想からは感染源を断つという「隔離」が肯定されることになる。

ハンセン病では「なぜ感染者を収容したのか」「なぜ隔離したのか」,それは感染源を社会からなくすことで,この病気がなくなると考えたからであり,なくなれば「関係のない自分は,もはやうつることがない」という発想からである。


手元に,平成22年9月発行の厚生労働省が作成したハンセン病問題啓発パンフレット『ハンセン病の向こう側』がある。このパンフレットには「三種の神器」に関しては,牧野先生や和泉先生の指摘が改訂に反映され,次のように記載されている。

「らい菌」は感染力が弱く,非常にうつりにくい病気です。発病には個人の免疫力や衛生状態,栄養事情などが関係しますが,たとえ感染しても発病することはまれです。現在の日本の衛生状態や医療状況,生活環境を考えると,「らい菌」に感染しても,ハンセン病になることはほとんどありません。

ハンセン病は早期に発見し,適切な治療を行えば,顔や手足に後遺症を残すことなく,治るようになっています。

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2011年06月05日

胎児標本

『ハンセン病市民学会年報2010』(島は語る 隔離の象徴としての“島”を再認識し,心の橋を架ける)が届いた。

本書を読みながら,過去の年報も読んでみたくなり,バックナンバー数冊を買い求めた。

2006年の年報では,小特集「胎児標本問題」が強烈な衝撃を改めて私に与えた。
シンポジウムで語られる被害当事者の生々しい証言と実態を読みながら,ハンセン病問題の闇の奥深さを今更のように感じた。


「胎児標本」について忘れられない思い出がある。

私の母校,校舎は建て替えられ昔の面影はない。当時は古い校舎で,理科室は北校舎1階西の奥にあった。理科準備室の廊下には標本棚があり,廊下からガラス越しに標本を見ることができた。蛇やウサギ,魚などがホルマリン漬けのガラス標本容器に入れられていた。
その中に,同じようなやや大きめの標本容器に「胎児」もあった。人形ではなく,人間であった。

大きさから考えても出産後か,それに近い胎児であったと思うが,頭髪はなかったような気もするが,目を閉じているが顔は確認できたし,手足も指もはっきりとしていた。

なぜ高校の理科室に,しかも廊下から誰(生徒)にでも見ることができる廊下に面したガラス標本棚に,他の動物と同じく並べられていたのか。

記憶が曖昧なのだが,病院から貰い受けたとも聞いたような気がするが,その当時は別段何とも感じることなく,ただ理科の授業でその前を通るとき眺めていた。時々,なぜ胎児の標本があるのだろうか,誰の子どもだろうか,等々の疑問が脳裏を過ぎるだけだった。

ハンセン病問題に関わるようになり,実際に「胎児標本」や「臓器標本」を見たり,その問題性について考えるようになったりする中で,何十年も忘れていた記憶が蘇ってきた。

大学に進学した後,教育実習のために母校を訪れたが,校舎が改築されて,その「胎児標本」も消えていた。荼毘に付されて弔われたのだろうか。

記憶を呼び起こしているのだが,別の「胎児標本」が理科準備室にもあったような気もする。

なぜ大学の医学部でもない高校に「胎児標本」があったのだろうか。

何よりも,当時の教師たち,生徒や保護者も目にしていたはずなのに,何の問題も感じなかったのだろうか。確かに私もその一人であった。

ハンセン病療養所に,それこそ無造作に置かれていた「胎児標本」の問題を考えるとき,「堕胎」「新生児殺」「解剖」が問題とされるが,胎児を「標本」化したこと自体も大きな問題であると思う。

医学・教育の名の下で,人間としての良心や感性が麻痺していたことが問題なのだ。「標本」は死者への冒涜である。


本書を読みながら,ハンセン病問題を象徴しているのが「胎児標本」であると強く思った。「胎児標本」が問題のすべてを示していると思う。

1 「胎児標本」のほとんどが「堕胎」「新生児殺」であった。

医者や看護師など医療従事者の倫理観の欠如を強く感じる。ハンセン病患者に対する当時の認識が如何なるものであったかを伺うことができる。

また,患者のため,医学の向上のためという「大義名分」「理由」があれば,このような非人間的な行為さえ,何の良心の痛みを感じることなく平然と行うことができる。

2 「断種」「堕胎」の目的は,絶対隔離・絶滅政策であった。

ハンセン病患者の「子孫」を残さないことが目的であった。ハンセン病は「感染症」であって「遺伝病」ではないにもかかわらず,なぜ「断種」「堕胎」がほとんどすべての療養所で長年に渡って行われてきたのか。

3 ハンセン病患者の「人間性」「人間の尊厳」を剥奪してきた。

結婚は許すが子供は作らせないということが療養所の中で行われてきた。子供を作ることは「恥ずかしいこと」「許されないこと」という意識を「医学の名によって」患者に植え付けてきた。人間として当たり前のことを望んではならない存在であると教化されてきた。

これらすべてが光田健輔の意志であり,彼の思想(光田イズム)によって生み出され,彼の後継者たちによって引き継がれてきた。


なぜ光田健輔は「断種」「堕胎」「胎児標本」を行ったのか。本書のシンポジウムの中で,藤野豊氏がこのことに関して的確にまとめている。

断種というものが始まったのが1915年,光田健輔という日本の隔離政策を推進した医師が多摩全生園,かつての全生病院で行ってきた,それが始まりです。…

…そこ(「断種の三十五年」)で光田健輔は,たとえプロミンがある今(1952年)においても断種するんだといっています。…男性患者の精子にはらい菌がついている。らい菌に侵された精子で妊娠すると,子供に受精段階から感染するかもしれない。…本当に精子によって感染することが医学的にあるのかどうか,多分ないと思いますし,光田健輔の思いこみかもしれません。しかし,彼は信念をもって,だから断種すると言っているんです。

もう一点,光田健輔はハンセン病の菌に対し免疫の弱い体質があると発言しています。その体質は遺伝するかもしれない。病気は遺伝しないがハンセン病の菌に弱い体質は遺伝するかもしれない。これも光田健輔が断種堕胎に執着した根拠だと考えます。

…医学的な証明はないままに断種や堕胎を強制したわけです。そして胎盤から感染するかも知れないということを何とか証明しようと思って,胎児を標本にしたわけでしょう。私はこれは明らかな人体実験だと思っています。つまり眼の前にたくさん解剖できる胎児がいる。この胎児を解剖して胎盤感染を証明したいと一生懸命堕胎した。

光田健輔の功罪をあらためて問い糾す必要を痛感している。そして,彼の政策に荷担してきた国家,医療従事者,そして「不作為」であった我々の問題を追及しなければならない。

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2010年08月23日

ハンセン病呼称の変遷(3)

『証言・ハンセン病−療養所元職員が見た民族浄化−』(森幹郎)に,ハンセン病呼称に関する言及があった。

…1951年,第十二回国会参議院厚生委員会に参考人として出席した長島愛生園園長・光田健輔は「癩病をハンゼン病と変えたらいいではないか」という質問に対し,「病名をハンゼン病というふうに日本で変えるということについては,子供みたいな話ではないかと私どもは考えるのであります」と証言しました。また,何かのとき,私に向かっても「ハンセン氏病か!」と吐き捨てるように言いました。「ハンセン氏病」という言葉の裏に患者運動の「胡散臭さ」を感じ取り,アレルギー的な拒絶反応を示したのです。光田の意見に配慮してか,1953年,らい予防法案の真偽に当たっては,衆参両院とも「病名の変更については,十分に検討すること」という付帯決議が付けられました。

光田健輔はなぜ「子供みたい」と思ったのか。
森氏の言う「胡散臭さ」を感じた背景にあった「患者運動」を自分に対する反発ととらえていた彼のパターナリズム,さらには彼自身の中にあった「ハンセン病」への差別意識がみえてくる。「ハンセン病の撲滅」という使命感とともに,彼の中にはハンセン病患者を「救済」してやっているという意識,ハンセン病患者への「座敷豚」に象徴される蔑視観があったと思う。ハンセン病専門医としての自負心と高慢さ,自信過剰とも思える自己正当性が感じられる。


森幹郎氏が「らい病」を「ハンセン病」へと言い換えることに反対したのは,次の理由からだという。

偏見と差別は言葉を換えることぐらいでなくなるものでないからです。

発見者の家族や同姓の人の気持ちを考えたら,星や植物の学名ならいざ知らず,偏見と差別にまみれた疾患の病名に発見者の名前など付けないほうがいいというのが私の主張でした。

もし,古くからのらい病が鈴木病と命名されたら…鈴木先生の家族や全国に二百万人もいると言われる鈴木さんの気持ちはいったいどうなのであろうか?きっと<らい病>を<鈴木病>とは呼んでほしくない,というのが本音ではないだろうか?

私は,森氏の考えは矛盾していると思う。「偏見や差別は言葉を換えたくらいで…」には同感するが,「偏見と差別にまみれた疾患の病名に発見者の名前など付けないほうがいい」とはどういうことだろうか。
この森氏の考えには「らい病」という病名ではなく「ハンセン病」という病気そのものが「偏見や差別にまみれた」病気であるという,それこそ病気そのものに「偏見や差別」があるように受け取れる。いかなる病気であっても,その病気そのものが「偏見や差別」されるということはあってはならない。「らい」「らい病」という呼称に,そう呼ぶ人間の「偏見や差別」が込められているのであって,「偏見や差別」を受ける病気があってはならない。

森氏の論理では,<鈴木病>であろうが<ハンセン病>であろうが,「らい病」は「偏見や差別」を受ける病気であると言っていることになる。「川崎病」は人名を付けてもよくて「ハンセン病」はいけない,など病気によってちがいがある方がおかしいだろう。私は彼の考えには賛同できない。

「偏見や差別」で見られていた病気の名前に「人(自分)の名前」を付け(られ)たことが問題という森氏の発想はおかしい。なぜなら,問題は「人名を付ける」ことではなく,病気を「偏見や差別」のまなざしで見ることだからだ。

「らい病」を「ハンセン病」に換えることは,単に病名の変換ではなく,病気に付随してきた「偏見や差別」そのものを払拭させようとする願いと活動が込められているのだ。

「らい病」という言葉が持っていた偏見と差別を「ハンセン病」という言葉が受け継がないよう努力することが重要です。

上記の森氏の言葉にも違和感を感じる。誰が「らい病」に「偏見と差別」を持っていたのかであり,なぜ「偏見や差別」を持つようになったのかを考えるべきだ。

「ハンセン病」という病名になったら,「Hansen」さんは「偏見や差別」で見られるようになるのだろうか。この論理や発想では,いつまでも「らい病」そのものが「偏見や差別」をもたれる病気であることのまちがいが払拭されることはない。

病気の呼称が問題なのではなく,病気に対する「偏見や差別」の意識(認識)が問題なのである。


同書に,日本政府がハンセン病を「国辱」として対応し始めた原因が書かれている。

1906年のことです。ひとりのハンセン病患者がイギリス大使館の門前で行き倒れになっていました。早速,大使館の館員は外務省を訪れ,「日本のような一等国の町のなかでハンセン病の患者が浮浪しているのは国の恥です」と言いました。

1905年,第二回日英同盟が協約され,駐日公使館は大使館に昇格しました。その翌年,イギリス大使館の門前でハンセン病の患者が行き倒れていたのです。
我が国政府は富国強兵策をとり,先進国にキャッチアップすることに総力を挙げていましたから,同盟国イギリスの大使館から「日本の恥」と言われると,慌てました。わが国のメンツは丸潰れだったからです。また,1899年,亜米利加(アメリカ合衆国)との修好通商条約が廃止されると,五つの開港地にある居留地は開放され,市中を歩く外国人の数も増えてきました。当局は「日本の恥」を外国人に見せてはならないとの思いを一層強くしました。

「国辱」と指弾された政府にとって,ハンセン病対策は急務となった。だが,隔離政策を訴えたのは光田健輔であり,彼の意見を採用したのは当時の政府関係者である。国家の責任を糺弾するよりも,当時のハンセン病対策に関係した人間及び彼らの考えこそを解明する必要がある。国家もまた人間の集合体である。

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2010年08月08日

排除のメカニズム

書棚奥に忘れていた『「隔離」という病い−近代日本の医療空間』(武田徹)を読み始めた。十年ほど前に買って読んだときはそれほどに心が動かなかったのだが,今は武田氏の視点にとても共感を覚える。それは,彼の問題意識に共鳴するからだろう。
本書より彼の問題意識と視点が述べられている部分を抜粋してみる。

…まず僕は感染力が弱いのに強制収容され,治療法があるのに終身隔離されたひとが「かわいそうだ」という論理を採用したくない。その論理の裏側には感染力が強く,治療法がない病気の患者は強制収容,終身隔離されてもしかたがないという論理が貼りついているからだ。

…患者や関係者が長きにおよんだ運動の果てに勝ちえた予防法廃止の時点で「かわいそうな患者たち」が新たに「発見」され,悪法が「非難」されるだけでしかないというところにこそ,ハンセン病問題の本当の根深さがあると僕はあらためて思ったのだ。

…事実を知らされれば,なるほどだれでも「かわいそうだ」と思う。ひどい法律だったと批判もする。しかし,そんな反応をする人が,ハンセン病隔離は,隔離医療という近代医学が語句日常的に採用している方法の一適用例であり,その意味で自分達の生活の地平に属するものなのだという認識を持っているとは僕には思えなかった。だから,感情の高まりが消えてゆくにつれて,問題も遠く感じられるようになり,やがて忘れてしまう。

…これまでも患者たちの実情を知って「かわいそう」と思う人はいたし,法律の不備を指摘する声もあった。しかしそれが広がりを持ち,強く持続する世論を形成することはなく,結局,「らい予防法」は延々と生き延び続けてしまった。

僕は「哀れな被差別者」を中心に挟んで,「無知のうちに差別に与している大衆」と,「差別撤廃に積極的な一部良識派」が対立している構造での議論を行うつもりはない。そうではなく,まさにそうした対立を包み込む「質」を有して近代日本という名の共同体はありえたのであり,ハンセン病患者へのひどい隔離医療が行われたのも,その現実をほとんどの人が知らずに来てしまったのも,実は同じ根を持つ問題なのだと考えたいのだ。

ハンセン病者は病原菌を有するという差異によって共感できない非・身内的存在=他者となった。彼らは病者として見下され,「皆に迷惑を掛ける」から絶滅収容所的な療養所に排斥されてもしかたがないと結論づけられてしまう。こうした他者に不寛容な社会の「質」が,ハンセン病者への非人道的な処遇を黙認してしまった土壌としてあったのだと思う。
そして,その土壌は今もなお自覚されずに残っているのではないか。

…僕はハンセン病患者達の人権が,感染力が弱く,隔離が不必要な病気にかかっていたのにもかかわらず,療養所の中に閉じ込められていたから蹂躙されたとは考えない。というのも,その論理の裏側には,感染力が強い病気にかかった患者は強制的に隔離してもしかたがないという論理が張り付いている。そんな論理が潜在的に生き延びている以上,ハンセン病を巡って多くの問題を孕んだ隔離はなんどでも繰り返される。

病者は「やはり自分とはちがう」と差別的に考える。そんな意識が深層に巣くっている以上善意と寛容をもって相手に接し,それが破綻したところに相手を人間あつかいしないひどい隔離が発生することは避けがたい。そのようなものとして近代日本共同体の「質」はありえるのだ。

武田氏は,本書の「主眼」を次のように述べている。

ここでの主眼は日本という共同体の「質」に関する議論であり,その内部の存在としてのハンセン病療養所に触れることで共同体全体の輪郭を描き出したいのだ。…隔離という医療行為は,多かれ少なかれ単純な感染予防の実効面に留まらず,差別や排除のメカニズムを潜ませているが,その極端な例が日本のハンセン病隔離だった。近代日本は排除の実践の結果,みずからの内部にハンセン病療養所を生んだのである。なぜそのようなものが生まれ,育ってしまったか。ハンセン病療養所という特殊な場所についての議論をとば口として排除のメカニズムが作動する仕組みとその特性を解析すること―。それは「病んだ」近代日本共同体の相貌を描き出すことになる。

「排除のメカニズム」の解明こそ,私が部落問題に関わり,部落史を研究テーマにして考察していることである。部落問題とハンセン病問題の根本的な共通性は「排除の被害者」である点にある。
なぜある特定の病者が,なぜある特定の集団(に属する人々)が「排除」されたのかという理由や論理よりも,特定の集団や人々を「排除」する「メカニズム」を考えたい。


人が人を攻撃したり排除したりするメカニズムは,国家や社会のシステムの影響下にあるとともに,個人の人間性や人格にも起因している。この両者は相互に影響し合い,時に相反し,時に相補しながら時代を形成してきた。

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2010年07月29日

検証文化

『差別とハンセン病』(細谷史代)に収録されている内田博文氏へのインタビューの中で,内田氏は次のような興味深い説明をしている。

検証会議では,「検証と裁判の関係」「研究と検証のちがい」について整理しなければいけないと発言しました。裁判は,法的責任を追及する限りにおいて過去の事実に光を当てるので,法的責任になじまないものは扱わない。一方,検証は歴史の事実を明らかにする目的なので,法的責任の有無にかかわらず重要な事実は事実として解明しなければいけない。また,検証は再発防止に結び付かなければいけません。
多くの研究者にとって,研究は第三者の立場に立つことです。これに対して,検証に第三者の立場はない,と私は思う。徹底的に被害者の立場に立たない限り,検証はあり得ません。だから,机の上で考えていては検証にならない。被害の現場でものを考えなければいけない,というのが私の考えです。

「検証」の前提は「批判」ではないと考えている。「批判する」ため(目的)に,「検証」するという考えには賛成できない。「検証」とは事実の解明である以上,その検証作業の前提として特定の考えや結論に導くために検証をすすめていけば,事実を正しく考察することはできない。まして他説を「批判」し自説を正当化するために「検証」するなど本末転倒である。
あくまでも「事実」を科学的に「解明」する作業が「検証」であると私は思っている。それゆえ,「批判」することが目的となる「検証」には違和感を感じてしまう。
事実の解明を目的とした検証作業の結果,従来の学説や社会通念,世論を批判することになる場合もあり,また新しい学説や認識が生まれる場合もある。しかし,それらは検証過程で生まれたり,結果として生まれるものであって,最初から「批判」が目的の検証作業から生まれることはない。


内田博文氏に『ハンセン病検証会議の記録−検証文化の定着を求めて』という大作がある。その「おわりに」に次の一文が述べられている。

検証作業に実際に携わってみて考えたことは多かったが,そのなかでも重要なことの一つは,人権侵害の側に走った専門家等をもって「悪い専門家」,人権侵害を糺弾する側に向かった専門家等をもって「良い専門家」というような固定的な図式では,今も続く被害の回復,救済には繋がらないのではないかという点であった。すでに指摘されているように,人権侵害の側に走るということは自分自身の人間性をも失うということで,その意味では,被害者も加害者も共に人間性の回復が図られなければならない存在だという視点こそが,人権侵害状態を形成している加害者−被害者という固定的な関係を変えていくことになるのではないか。

この視点は,私がずっと言い続けてきた「被差別−加差別の対立構造を克服する展望」である。善悪・正邪の二律背反的発想や犯人捜し,あるいは「しんどさ比べ」からは何の解決にもならない。
同様に,批判することで正否が決まるものでも,また正否を明らかにしたとしても,それだけで差別問題や人権侵害が解決できるものでもない。なぜなら,目的が「人間性の回復」であるからだ。裁判のように正否を決めることが目的ではないからだ。

「差別の重層的構造」ということが言われている。その根本には「無関心」と「無関係」の意識がある。そのことに気づかなくても,直接に「差別」しなければよいという安易な自己肯定感がある。
情報化社会である現代,マスコミやインターネットによって多くの情報が伝えられている。学校教育においても教科や道徳,人権教育において部落問題や人権問題が取り上げられている。それらの不十分さは否めないが,それでも昔に比べれば情報発信や知識の伝達としての役割は進歩している。
しかし,その一方で昔と変わらない問題が残り続けている。ハンセン病について,部落問題について,多くの人権問題について,多少の知識や関心はある。差別がいけないのもわかっている。でも,「自分とは関係ない」という意識がある。

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『日本のアウシュヴィッツ』

栗生楽生園の在園者で,ハンセン病違憲国賠訴訟全国原告団協議会(全原協)会長代理の谺雄二さんが同じ栗生楽生園の療友である高田孝さんから聞き取った「特別病室」(重監房)に関する証言集がある。『日本のアウシュビッツ』という小冊子である。

私が本書を知ったのは,宮坂道夫氏の『ハンセン病重監房の記録』に一部が載録・引用されていたのを読んだからだが,どうしても本書そのものが読みたくて,著者(インタビュアー)である谺雄二さんに連絡をとってお願いしたところ,ご厚意で献本していただいた。
一読したその衝撃はあまりにも強烈で,私の脳裏に深く焼き付いた。こんな歴史的事実が闇に埋もれていたことが信じられなかった。確かに,金泰九さんやハンセン病回復者の方々から「草津送り」「頭を冷やしてくるか」「涼しいところに行くか」等々の威し文句とともに草津重監房のことは聞いてはいたが,彼らも直接に見聞したわけではなく,話として耳に入ったことであった。私自身も想像の域であった。だからこそ,書かれている内容に愕然とするだけであった。
以後,ハンセン病関係について文献や資料などを調べる中で,特に重監房に関する資料や証言には注意深く収集している。


本書は,昨年刊行された谺雄二・福岡安則・黒坂愛衣編『栗生楽泉園入所者証言集』に再録されてはいるが,本書はもともと自費出版であり,一般書店からは入手不可能であり,なかなか目にすることができない。そこで,抜粋ではあるが,重要な証言の部分を転載させていただこうと思っている。(谺雄二さんには転載の許可をお願いするつもりでいる。)


「知る」ということの重要性,正しい「知識」(情報)の必要性を痛感している。
実際に,直接に見聞できない過去の歴史的事実(史実)に関して,その正しい解釈がなされなければならないが,その前提は第一次資料であり,何よりも当事者の証言である。
そして,その証言と歴史的事実をどのように理解し認識し,解釈するかの検証と考察が重要である。その場合,独断的な解釈と偏向した理解からは曲解や歪曲が生じるだけである。

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ハンセン病国賠訴訟

ハンセン病違憲国賠訴訟の記録である『ハンセン病違憲国賠訴訟裁判全史』(全9巻)を読み進めながら,この大部の裁判記録・証言の数々が明らかにするものは,まさしく「無関心」「無関係」が生み出す人権侵害・人権問題の構造であると思う一方で,アイヒマン裁判と同じものを感じている。それは,組織の歯車となった「人間の物化」である。ただ命じられたから忠実に職務を遂行したという,非人間的な行為さえ正当化する論理への怒りである。

光田健輔以降,全国の国立療養所の園長や医者,関係職員がいたはずなのに,なぜ彼らは,最もハンセン病に関する最新の知識や世界的な動向を知り得たにもかかわらず,らい予防法の放置し,あるいは強制隔離に異議を唱えず,懲戒検束を行使してきたのだろうか。


原告の意見陳述書や証言を読みながら,彼らの辛酸と苦悩,悲哀の日々に思いを馳せ,怒りを押さえきれない。

大谷藤郎・和泉眞藏・犀川一夫・成田稔の4人の証人尋問調書を読むことで,あらためてハンセン病問題の事実と本質がわかった気がする。ハンセン病問題は国家による犯罪であり,人間が生み出した作為の過誤である。社会的弱者は国家により作られ,国家によってスティグマの烙印をおされ,それを公然化され,人々の意識と感情に植え付けられ,差別と偏見が黙認的に助長された。これは,優生思想を背景とした民族浄化を肯定化した構造的犯罪である。

ハンセン病問題と部落問題の類似性をここでも感じる。

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人間の尊厳

畑谷史代『差別とハンセン病』に,先日のハンセン病市民学会で最も刺激的な提起をされた(と,私は思っている)内田博文氏のインタビューが載っている。非常に考えさせられる内容なので,私見を述べてみたい。

本書は「平凡社新書」の一冊である。ページ数も多くなく安価でもあるので,ぜひ多くの方に読んでもらいたいと思う。

(佐伯千仭)先生は「学問には,賢者の学問と愚者の学問がある。どちらを取るかが非常に重要だ。私は愚か者の学問が一番だと思う。お前は賢者の学問を志している」と言うのです。先生が言いたかったのは,刻苦勉励してがんばればがんばるほど,自分は神に近づいていると思い込んでしまう,それがだめだ,ということ。それは別の言い方をすれば,自分は神様ではない。過ちを犯すんだ,とわかることだと思います。先生は「歴史を勉強しなければいけない。絶えず歴史を見つめなければ,方向を見失う」とも話していました。

人間の高慢さ,自意識の過剰さを言い得た言葉と思う。「自分を神にしてしまう」人間は案外と多い。自分のことは棚に上げて人を批判して悦に入る人間,本人はそのことに気づきもしない。人を批判することばかり続けていると,自分がさも偉くなったかのように錯覚してしまう。

光田健輔もまた自らを「神」のように思い込んでしまったのだと思う。「救癩」という大義名分の下で自分の行為を正当化していった背景には,彼のパターナリズムとエゴイズムがあった。


本書の「資料編」は検証会議の「最終報告書」をもとに明らかとなった「問題に対する視点」を整理したものである。私もこの報告書をダウンロードして製本しているが,大部であるためにすべてを読み終えていない。本書は簡潔にまとめてあってわかりやすく問題点を把握できる。今夏には,「最終報告書」を内田博文氏の『ハンセン病検証会議の記録』とあわせて読み直してみるつもりである。
特に今後の人権問題を考える上で「各界の責任」に言及している部分は重要な提言をしている。

「隔離政策と表裏一体」であったと指摘された「教育界」の責任は,今後の学校教育にとって教訓とすべきものである。
それ以上に興味深く読んだのは「宗教界」の責任を糺弾した部分である。「ある意味で,究極の人権侵害」だと指摘された「宗教界」についての検証は,以前から私が宗教に対して感じていた危惧を明確にしてくれた。

私は無神論者ではあるが,宗教を否定するものではない。宗教のもつ人間を支える精神的・道徳的な側面は認める。しかし,その一方で宗教のもつ教条主義や独善的な面には違和感を強くもっていた。

入所者に隔離の受容を説き続けた宗教者たちの行為は,隔離により人の尊厳が踏みにじられている事実自体に覆いを被せる結果となった。また,特に戦前の宗教界が国家政策と完全に連動し,国の立場に立っていた点で,「作為」の責任を免れ得ないとする。

「宗教的慰安」や「救済」の内実は「諦めの境地」で,信仰の名の下に,入所者に隔離の現実を受容させていく効果があった。隔離に抗した宗教者も一部に存在したが,多くは「宗教的使命」として隔離政策を進めた。国が隔離政策推進にあたって「皇恩」を強調したことに合わせて,各宗教教団も「皇恩」をそれぞれの宗教性の中に取り込み,さらに社会にも発信していくことによって,国家の期待に応えていった。

私が宗教に対して,その深い同情と慰安の気持ち,敬虔な心情と純真を認めながらも,なお不快感を感じるのは,信じる信仰への純真さゆえに絶対化し,それに反することを否定・排除する教条主義である。
自分の信じる宗教,あるいは「神」を絶対化し,それに自己を同化させて,自らを絶対化する宗教家がいる。明らかに教義と反する言動を行いながらも,そのことを正当化し,教団もまた黙認している。いかに立派な教義や戒律を唱えようとも,所詮人間は人間でしかない。神にはなれないのだ。だが,不完全である人間だからこそ,まちがいを正して,修正することができる。絶対化した神にはそれができない。神の教えを実践することと実践していると思い込んで自分を絶対化することは真逆である。自分のまちがいや過ちを認められず,改めようともせず,ひたすら詭弁を弄して自己正当化を図ることに何の意味があるだろうか。

自らの存在を,様々な屈辱的政策により卑下するしかない状態に貶められている入所者にとって,療養所で生活することそのことが「救済」となるという教えは,療養所の中で一生を送るということに大きな価値の転換を与えるものであり,生活の光であったのではないか。(中略)人間の尊厳が踏みにじられることの最後の防衛手段,それは,尊厳が踏みにじられているという事実に覆いを被せてしまうことである。その事実のところには,どれだけ酷い境遇に置かれようとも,なお生きるという人間の強さと,生きねばならない人間存在の深い悲しみが横たわっており,誰にも批判することはできない。しかし,そのことが,隔離をしてきたものによって企図されてきたという面に関しては,徹底して問われなければならない事柄である。

『ハンセン病問題に関する検証会議最終報告』

キリスト教の教義には,人間の根源的な生き方や在り方への深い洞察と示唆がある。
内田博文氏の次の言葉が心に残っている。

ワイツゼッカー(元大統領)は「戦後,ドイツの出発点となる,そして永久に忘れてはならない言葉が人間の尊厳だ」と言っています。

検証会議の聞き取りの中で,国立ハンセン病療養所多摩全生園内の秋津教会の牧師の方が「人間の尊厳」という言葉を使っていました。「我々は人間の尊厳ということについて理解が不十分だった」と。委員から「それは基本的人権ではないですか」と質問が出たら,その人はこう答えました。「基本的人権に限定すると,民主主義の多数決の原理に結び付いた時,基本的人権の名の下に少数者を切り捨ててしまいかねない。そうではなく,我々は神の前の人である。神が一人ひとりを大事だと言っている。という意味で,人間の尊厳が大事なのだ。そうすれば,AさんがBさんを切り捨てる,あるいはBさんがAさんを切り捨てるということはできないだろう。

キリスト教の「汝の隣人を愛せよ」の「隣人とは」誰であるか。自分にとって必要な人間,自分に共感し理解してくれる人間,利害の共通する人間が「隣人」なのだろうか。自分の言動を振り返ってみればわかることだろう。

(多摩全生園長野県人会の)会長から投げかけられた「『隣人』とはだれか」との問いはずっと胸に引っ掛かっていた。それは「私は決して『隣人』ではなかった」というほろ苦さとともにあった。

今日に至るハンセン病の偏見と差別を生み出した根本には,国の絶対隔離政策がある。「うつらない病気なのに社会から排除した」のは明らかな間違いだった。では,仮に「うつる病気」なら,どうなるのか。
「排除はやむをえない」としてしまうのか。それとも,「排除してはいけない」と踏みとどまるのか。あなたは,私は,どちらの側に立つのだろう−。会長が問うていること,そしてハンセン病問題の本質は,ここにあるのだと思う。
恐怖心や差別してしまう心は,打ち消しても沸いてくる。この先,幾多のそうした場面で,踏みとどまれるかどうか……。私に自信はない。だから,泣きながら,くじけながらでも,その手掛かりを人と人とのかかわりの中に,あるいは「もし自分ならどうか」という問い返しの日常の中に,探していくしかなさそうだ。


ハンセン病問題だけでなく今後の人権に関わる問題は,さまざま問題が複合的に絡み合い複雑な様相をもって現出してくるだろう。社会的・経済的な遠因も関係してくるだろう。差別された側が別の局面では差別する側となる,内田氏の言う「差別構造の階層化」も進展している。
その中で,人としていかに生きるか,いかに他者と関わって生きるかがより問われていくだろう。「隣人」を理解し認めることができなければ,差別構造の解体を社会に求めても,新たな差別受容の社会が人の生き方や在り方によって再生産されるだろう。

例えば,個人主義の広がりが「排除の自由」も含み始める危惧である。個人主義の欺瞞に気づいていくこと以外に,差別や偏見を克服する社会状況へと変革していく方向はないと思う。

差別する側にいながら,差別していることに気付いていない人は多い。自分は「第三者」だとか,むしろ「被害者を理解している」と思っていたりする。…「私もあなたも,気付かぬうちに差別していることがある」という前提に立つことが大事です。自ら過ちを犯す可能性を見つめることで,自分が「第三者」ではあり得ないことに気付く。

内田氏は個人の幸福追求権を定めた憲法十三条で保障された「すべて国民は,個人として」という「個人」に言及し,この「個人」には「すべての人」が入ることが前提であり,すべての人が入るからこそ,この条文は生きると言う。
この考えは,キリスト教の「隣人」と同じであると思う。私はキリスト教徒でもないし,無神論者であるから「神の前の人」とは思わないので,「隣人」に対して「人間の尊厳の前で」見つめていく立場に立ちたいと思っている。

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貴重な資料:自治会史など

ハンセン病市民学会以降,ハンセン病関連の書籍を読み耽って日々を過ごしている。書棚の一角を占めているハンセン病関係の書籍で読み忘れてそのままになっていた本を読み直し,さらに参考として挙げられている書籍を購入し,ひたすら読み続け,考えながらノートをとっている。

驚くべきは,入所者である彼らの記憶の確かさとしっかりとした文章である。客観的な分析と,人権意識を基盤とした人間観・社会観から生まれる公正な視点,深い洞察と考察に驚嘆する。
国立ハンセン病療養所の自治会史を読みながら,これを学者や研究者ではなく患者が分担して執筆していることに驚く。時間的な余裕があったとはいっても,資料を収集したり聞き取りを行ったり,その資料を検証したり,さらに時代背景との関係を整理したり,そして膨大な分量を執筆していく作業は,並大抵の知識や文章力では不可能だと思う。見事な一級資料集であり歴史書である。


地元の長島愛生園の自治会史『隔絶の里程』は最初に訪問したときに購入していて読んでいるが,他園の自治会史は読んでいなかった。
多摩全生園自治会史『倶会一処』,栗生楽泉園自治会史『風雪の紋』などを,最近入手した。その他の療養所自治会史も購入するつもりだが,この三冊は圧巻である。これらを時系列的に比較しながら検証していく作業で,我が国のハンセン病の政策史が明らかになる。

熊本日日新聞『検証・ハンセン病史』や『全患協運動史』なども参考にしながら歴史的経緯をまとめておく必要を感じている。その過程で,自分なりにハンセン病政策を時代背景と,光田健輔などの考えや国の政策を明らかにしていこうと思っている。


部落問題に関する書籍が古書店に安く並んだ時期がある。今も一部ではそのような状況もあるが,絶版・品切れのものは逆に高価になっている。同様に,現在ではハンセン病関連の古書が安価で並んでいる。らい予防法が廃止され,国賠訴訟が始まった頃,ハンセン病問題が脚光を浴びた時期,入所者の手記・証言集などハンセン病関連の本が多く出版された。しかし,一時期のブームが過ぎたせいか,古書店には新品のままに安価で売られている。私にはありがたいことだが,ほとんど読まれず,しかもサイン入り献呈本などが随分と流れている。一過性の流行に空しさと,ハンセン病問題の要因を知った思いがする。

…島田等さんは生前こんなことを言っていた。「光田健輔が提案した終生強制隔離政策を国が実施した,そのことで隔離は徹底していったが,もうひとつ隔離が続いた理由がある」。「何ですか?」と学生だった私は尋ねた。「国民の無関心ですよ」。これを聞いた時,ガツンと頭を殴られたような気がした。三三年前のことである。

沖浦和光・徳永進編『ハンセン病-排除・差別・隔離の歴史』「あとがき」

「無関心」の要因は多々あるだろう。知らなかった・知らされなかった・知る術がなかった・興味や関心がなかった等々が考えられる。だが,これらに共通の根本には,自分との関わり度(距離感)が深く関係している。自分に関係する事柄かどうか,関わる必要性があるかどうか,そのように思うこと自体が「無関心」なのであるが,それが人権意識の低さを露呈している。
「知ったことに対する無関心は悪ですらなく,人間の物化を意味する」とは高橋和巳の言葉であるが,私はそれもまた「悪」であることをハンセン病問題から思う。

『全患協斗争史』(森田竹次遺稿集刊行委員会)を古書店で見つけて購入した。この本の後半に収録された「資料編」には貴重な資料が転載されている。
藤野豊氏らによる大部の「ハンセン病問題資料集成」もあるが,個人が購入するには高価であり,私も必要な巻しか持ってはいない。やがては入手しようと思っているが,現時点では図書館で読むかコピーしている。
本書には,長島事件や栗生楽泉園の人権闘争関係の資料が載っていて,参考になる。こうした貴重な資料は,整理しながらHPに転載しようと思っている。

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『検証・ハンセン病史』

熊本日日新聞に,2001年12月から2003年6月まで連載されたものをまとめた本であるが,その取材と検証,わかりやすく整理された構成,ハンセン病問題の歴史的背景が実に的確にまとめてある。研究者の論文ではなく,ジャーナリストの文章なので読みやすく,飽きさせない構成となっていて,一気に読み進められる。

本書は古書店で購入したのだが,途中に線が引いてあり,購入者がしっかりと読んでいることがわかる。それが,なぜかうれしい。ハンセン病問題に関心を寄せ,内容を理解しようとすることがうれしいのだ。


今までハンセン病の歴史的背景に関する本は幾冊か読んできたが,本書ほど簡潔に,しかも読みやすい記述の本はなかった。一般的な「通史」でも「学術的な史的概説書」でもない。「検証」と冠しているように,新聞記者による取材と資料収集,そジャーナリズム的な分析と論証から書かれている。時系列的な概観よりも,出来事や事件,人物に焦点を当てた論述であり,だから読みやすく,ハンセン病の歴史的経緯が掴みやすいのだと思う。

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解放とは

林力先生の著書にあった一文に誘われて島比呂志氏の著書を買い求めて読んでいる。読み始めてすぐに,その圧倒的な存在感に心揺さぶられ,確かな論旨と文章力に惹きつけられた。

林力先生について触れた次の一文がある。

「それは,すごい」私はそう言ったきり,次のことばが出なかった。あまりの感動に胸が詰まり,溢れそうになる涙をこらえるのが,やっとだった。癩を煩ったことは不運ではあるが,悪事を働いたわけでも罪を犯したわけでもなく,恥としたり隠したりしなければならない理由は,どこにもない。それなのに,患者も家族も,必死になって隠している。しかし心のどこかでは,結核のように隠さなくてもよいようになったら,どんなにか心が晴々とすることだろうと,願っているのだ。林力氏は,何千という聴衆を前にして,父は癩だったと語り出すという。私は映画でも見ているような解放感に,ただただ感激するばかりだった。
                     (中略)
林氏は,被差別部落の人々と変わらぬ貧しい生活をしている両親が,彼らを悪しざまに言うことで,自分たちは彼らに比べれば恵まれている,とする差別心理を描き出している。当然,そのような両親に育てられた子供のなかには,根深い部落差別の心が宿されているはずである。小学校の助教諭となった林氏は,絶対部落の子供のいる学校には行きたくない,と祈る思いだったと告白している。しかし皮肉なことに,氏は部落の児童の最も多い小学校で,十年も教鞭をとることになり,次第に部落の実態に触れてゆくのである。
                     (中略)
読後に強く感じたことは,氏のやさしさと謙虚さであった。…常にひとりの人間として,一教師として,自己の生い立ちから現在に至る差別認識の過程を回顧点検しながら部落の児童や家族の生活に触れ,その中で同和教育のありようを模索しようとしている。同和教育の最終目的は,部落解放にあることは論をまたないが,癩という強固な秘密の扉を開き,『恥部でないものを恥部としてきたわたしの弱さ』を打ち破った林氏の勇気は,解放を必要とするすべての人々に光明を与えてくれるはずである。

島比呂志『片居からの解放』(社会評論社)

私は,部落史研究の目的を部落問題に関する「差別及び差別構造の歴史的解明」と「差別認識の過程の解明」と考えている。

「恥部でないものを恥部とした」のは誰か。「恥部でないものを恥部とさせられた」のは誰か。この両者からの視点が「差別認識の過程」を考察する上で重要である。
差別や偏見が再生産・再編成されていく過程において「差別認識」は重要な役割をもつ。本書には,その実例がいくつも紹介されていて興味深い。

丸山ワクチンの創始者である丸山千里博士が「ハンセン病患者に結核患者がいないことに着眼してワクチン開発を思いついた」という報道は明らかな誤認であるが,それを事実として引用して論を展開した文芸評論家の柄谷行人氏がいる。

…ただ興味をもったのは丸山氏が本来は結核のワクチンを,ハンセン病患者に結核患者がいないという経験的直感からハンセン病のワクチンとして,さらに同様な推理によってガン・ワクチンとして転用してきたプロセスである。

(柄谷行人「意味としての病」)

島氏は,次のように危惧する。

このように,丸山氏が誤認した事実を,柄谷氏が事実として引用したごとく,第二,第三の柄谷氏の出現も考えられるし,また柄谷氏の文章からの孫引きなどを考えると,その波紋は果てしなく拡散してゆくように思われる。そしていつの日か,「意味としての病」に苦しめられてきたハンセン病患者に,さらに誤認による新しい意味が加えられるかも知れないのである。その新しい意味が,偏見を生むか理解を生むか,それは分からない。ただ私は,正しい医学的事実に基づいた,正当な理解を望むだけである。

今年亡くなった作家の栗本薫氏は,長編SF小説『グイン・サーガ』の初版本(1979年に雑誌に掲載)に「癩伯爵」という人物を登場させ,「わしにとりついた業病は,空気にふれてもひろまる」とか「癩という業病にきくのは,人の生き血と,生肉以外にはない」など偏見による差別的な表現で書いている。栗本氏は関係団体からの抗議を真摯に受けとめて謝罪し,書き直しているが,私は彼女がなぜそのような偏見をそのままに記述したのかを問題にしたい。

一つには,当時のハンセン病に対する偏見と無知によるまちがった社会認知の状況を反映したものであったと考えることができる。遺伝病・伝染病といった誤った知識・認識から派生した偏見や先入観が事実として広まっていたのである。もう一つは,作家である彼女が調べれば最新の情報を入手できたにもかかわらず,当時の社会の風聞のままに,主人公に対して「敵」の悍しさを演出する表現として「ハンセン病」を利用したことである。栗本氏は,癩という名を表現として使っており,差別意識などなかったと言っているが,彼女の中に「ハンセン病」に対するまちがった認識や偏見がなかったとは思えない。そのような表現を使ってしまったということは,日常で「癩」という病が悍しく恐ろしいものであると感じていたからであり,当時の社会においてそのように思われていたという認識があったからである。

先の柄谷氏と同様に,栗本氏にも「文章化した責任」がある。個人的な日記として人知れず秘して書き綴るのであれば,事実誤認や錯誤,あるいはイヤミも皮肉も大して実害はないが,不特定多数に向けて「公開」するのであれば,自分の文章に責任をもつのは当然である。もちろん,個人的な日記であっても,良心の呵責や自分自身に向けた恥ずかしさなどはあると思うが…。自分勝手な思い込みや憶測から事実確認もせず,書きっぱなしの文章を読み返すこともせず「垂れ流す」ことの無恥は,無知よりも始末におけない。


解放とは何か。私は自分自身にある偏見や先入観,差別意識を払拭していく作業であると考えている。他者のため,たとえば部落解放は部落民のためといった自分をどこかにおいた解放などではない。同様に,他者を否定することでもない。たとえば,部落民に対する差別者を見つけ出して否定することで部落解放が達成されるものではない。

部落民か部落民でないかという二律背反的な思考では部落解放など,いつまでたっても平行線である。私は部落解放のために,すべての人間が部落民にならなければならないなど一度も提言したことはない。「被差別の立場に立つ」ことは「部落民になる」ことではない。そのようにしか解釈できないから「部落民と結婚しなさい」などの荒唐無稽な戯言に振り回されるのだ。他者の言説の真意をそのままに受けとめられず,曲解してしまう自分自身の思考を検証すべきであろう。「被差別の立場に立つ」とは,相手の置かれている社会的状況,相手の社会的立場に立って物事を客観的にとらえることである。差別を解消していく立場である。

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偏見と差別

灰谷健次郎氏の名作『兎の目』がハンセン病と深い関わりがあったことは知らなかった。『「癩者」の息子として』(林力)に次の一文が書かれている。

ところで,こうしたハンセン病に関する認識の誤り,無知は殆んど有効な啓発活動も行われないまま,人びとの深層に根づいて動かないままになっています。そして,それは時にいわゆる文筆家やマスコミによって無責任に表出して,さらに予断と偏見をかり立てていくのです。…しかし,わたしが最近ことのほか憤りをもって接したのは灰谷健次郎の『兎の目』でした。そのなかで彼は「ライ菌」をハエが伝播する病菌として把え,作中の小谷先生がある本でそのことを調べたことにしています。
           …(中略)…
ハンセン病は外傷による長期にわたる接触伝染によります。それも,主として幼児期においてです。しかもきわめて微弱な伝染力しかありません。
           …(中略)…
しかし,ハエがハンセン氏病を伝播するという灰谷氏の無知は,わたしの少年の頃の記憶を鮮烈に引き出さずにはおきません。…痛覚をはじめ一切の感覚はまったくなくなっていて,ハエや蚊がまつわりついても父は平気でした。腹いっぱい血をすった蚊が畳にころがり落ちることさえありました。母は,父の身体にふれたハエや蚊が自分や,とくにわたしを襲うことをひどく恐れました。それを追い払うため金切り声をあげ,夏の夕方には,雑草のなま干ししたものをいぶして蚊を追うのに懸命でした。自分の身体から離れたハエや蚊がわたしたちの身体にとまるのを必死に追い払う妻と子の姿を,父はいつももの悲しい目で見ていました。
灰谷氏の過ちは,その光景をあらためて思い出させてくれるのです。それは,とてもつらいことです。

同書の後半には読者からの手紙が収録されているが,その一つにこのことと関連したものがあった。

灰谷先生の『兎の目』の文中のらいの文字のカットを申し入れたのは私です。その経緯については,ミセス十一月号に載っています。
灰谷先生の“島からの便り”にも転載されています。
灰谷先生には,あれから偏見を助長するおそれがあるので善処して欲しいという私の申し入れに対して,理論社の社長とも相談し,在庫本の廃棄と刷り増分からのカットを約束して下さり,無知から大変ご迷惑をおかけして申し訳ないと,苦渋に満ちた反省とお詫びの手紙を速達で寄こされ,私が恐縮する程でした。

『兎の目』は同和教育の教材として広く活用され,多くの教師や子どもたちに感動と思いやりの大切さを伝えてきた。私も生徒に勧めてきた本であり,道徳の教材として使ったこともある。だが,このエピソードは知らなかった。

知らないことの恐ろしさ,まちがったことを伝えてしまう弊害,曖昧な知識や軽率な判断が予断と偏見を助長させてしまうこと…このエピソードから学ぶことは大きい。

人に伝える情報に関しては,その情報を発信した者に責任がある。情報の事実確認もせず,憶測による独断で文章を書いて発信することの無責任こそ問われるべきである。
事実でないことをさも事実であるかのように吹聴することで,事実を確認することができない者に対して虚偽を信じ込ませてしまう功罪は大きい。

自らのまちがいによって他者の人権を侵害していながら修正も訂正もしない人間に比べて,灰谷氏の真摯な対応はさすがである。それは彼自身が誠実であるからだろう。
自分のあやまちやまちがいに対する指摘を誠実に受け入れることができるかどうかだと思う。自分のまちがいを素直に認めることはなかなかできるものではない。たとえ明確な根拠を提示されようとも,指摘した相手によっては認めようとしない意固地さを露呈するだけの人間もいる。部落問題に関しても同様のことがよく起こる。

灰谷氏は,これ以降,積極的にハンセン病問題に関わっていく。

【学ぶとは胸に誠実を刻むことであり,教えるとは共に希望を語ることである】
(ルイ・アラゴン)

posted by 藤田孝志 at 13:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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