2011年06月27日

誤った知識の普及

『ハンセン病市民学会年報2010』に,昨年に引き続き,分科会B「啓発活動の在り方を検証する 第2回」のシンポジウム報告が集録されている。

この中で和泉眞藏先生が「啓発の問題点」を端的に述べている。

…子どもがまとめた中に気になる言葉があります。たとえば「弱い感染力なのに,大勢のハンセン病の患者が差別された」というような,弱い感染力なのにハンセン病の患者が差別されたと子どもが書いた。これは一見,正しそうに見えるんですけども,現実に感染症は,強い感染性の問題としてわれわれの前に現れることがしばしばありまして,その時に,感染力が弱いから差別してはいけないんだ,と考えますと,それでは強い人は差別してもいいのか,われわれの社会から排除していいのかという問題に対する,間違っている答えが出てきている。

…「遺伝病ではありません」という主張が,ある程度正しい面もありますけども,逆に言うと,「遺伝病は悪い病気だ,私たちはそんな悪い病気ではありませんよ」と言って,遺伝病の人が非常に困るという事態がひとつです。

感染病に関しては,和泉先生は「防御免疫を持っている大部分の人は菌が感染しても発病することはない」と説明している。
また,遺伝病に関しては「遺伝病は特別な病気じゃなくて,みんなかかる可能性があって,遺伝病を持っている人は排除すべき,悪い素因を持っていることはない」と述べている。
そして,啓発活動における「間違った知識」の危険性について,かつての光田健輔たちの行った「絶対隔離政策」を例に,次のように述べている。

…この計画が進められた時にハンセン病の専門家たちは,強烈な伝染力をもつ恐ろしい不治の病であると,誤った学説で国民を「啓発」し,その結果が「無らい県運動」につながり,国際的な潮流に逆らって,こういう間違った政策が進められた。…しかも,この間違った啓発活動が長年行われた,ということが現在のハンセン病に対する誤解を生んでいる原点である…。

感染症患者を含む社会的弱者と共生する優しい社会こそ,私たちがつくるべき社会だということ…

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2010年12月09日

巨星墜つ

大谷藤郎氏が逝去された。

ハンセン病国賠訴訟の証人として自らと国の責任を認め,政府の施策を厳しく問い直した大谷藤郎氏の死は,自らの役割を果たし終えたかのようだ。

しかし,私にはまだ語り終えていないように思える。まだ果たすべき責務は残っているように思う。

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2010年10月09日

その手をつないで

今朝,テレビで「NNNドキュメント10 その手をつないで ハンセン病の島から未来へ」の再放送があった。

香川県にある国立ハンセン病療養所大島青松園に暮らす入所者を,五十数年ぶりに一人の男性が訪ねる。ある日突然に姿を消した親友を捜し続け,瀬戸内国際芸術祭をきっかけに彼が大島青松園に入所していることを知る。

番組は,ハンセン病回復者である彼を通して,ハンセン病問題を提起している。ハンセン病が引き起こした問題が断片的に語られる。
互いに支え合ってきた入所者の死により,残された孤独に耐えられず自ら命を絶った入所者の葬儀,里帰りを果たし母の墓前で手を合わせながら語る母への謝罪の気持ち,孤独を紛らわすために打ち込んだ陶芸,それらはすべてハンセン病差別が生み出したものだ。
映像は,それらを坦々と描写するのだ。ナレーションも言葉少なである。説明に不足さえ感じられるが,むしろその方がハンセン病の現実をよく伝えている。

瀬戸内国際芸術祭の会場となったことをきっかけに,陶芸を通してボランティアの若者や訪問者と交流していく様子が今後の展望を示している。

私は,このわずか30分ほどの番組ではあるが,伝えようとする思いは十分であったと思う。ハンセン病患者が辿った過酷な歴史や悲惨な療養所生活,国家による排除と隔離の政策等々を解説することも重要であるが,そのような歴史を越えて今を生きる入所者を伝えることで,今後の啓発と交流の在り方の一つを伝えようとすることも大切である。

「なぜ俺を生んだ」と母に暴言を吐いたことを悔やみ,親友に「妹がいたから…」と姿を隠した理由を語る,それだけでもハンセン病問題の本質がわかるだろう。
何が彼の半生を奪ったのか,誰が彼と親友との絆を断たせたのか,何が彼を母の死に目に合わせなかったのか,責められるべきは誰なのか。我々のまちがいは何だったのか,ハンセン病問題を克服するために我々は何に気づき,この社会をどのように変えていくべきか,我々が学ぶべき教訓は何か。

終わりに,彼の変形した手を小さな子どもがしっかりと握って歩いている。横で母親が笑顔でやさしく見守っている。きっと母親は,子ども語り続けることだろう。ハンセン病について,手を握ってくれた彼のことを語ることだろう。

差別は垣根である。その垣根は気持ち一つで乗り越えることができる。

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2010年08月31日

目的と手段

わが国のハンセン病隔離政策を考えるとき,光田健輔の影響は絶大である。だが,光田一人の責任を問うことで,ハンセン病隔離政策の全容も問題性も解明できるものではない。

たとえば,なぜ隔離がありえたのかを,光田の個人的資質に還元して説明する立場がありえるが,僕はこの立場に与したくない。個人一人の力で成し遂げられるものはそう多くない。たとえ一人の貢献が大きいように見えたとしても,それはその人を必要とした時代と,その活躍を許容した共同体の「質」あってのことだろう。ハンセン病隔離医療の成立を巡って,光田が果たした役割はまさにこうしたものだったと僕は考える。光田はたしかにいくらかは時計の針を進めたかもしれないが,彼があらわれずとも隔離するメカニズムはいつかは作動し,病者を排除収容しただろう。

『「隔離」という病い』(武田徹)

些か光田の貢献(責任)を過小評価しているように思うが,確かに光田を「必要とした時代」があり,彼を支えた(賛同して協力した)人間や組織,彼を受け入れた社会風潮があり,これらがマッチングしたからこそ,光田イズムが絶大な力を持ち得たのだと思う。そして,それはハンセン病患者にとって最大の不幸でもあった。


『ハンセン病 これまでとこれから』には,国賠訴訟によって明らかにされたハンセン病問題を総括するために,さまざまな角度からの課題が提起がされている。
近代国家そのものがもつ「歪み」をハンセン病問題が象徴していると感じた。
その「歪み」とは,近代化・文明化・人類の福祉などの美名・大義名分によって「劣等なるものへの排除・排斥」が正当化されてきたことだ。

光田健輔は「救癩の父」と尊敬される一方で,絶対隔離政策を強引に推進し,患者を全滅させることがハンセン病の撲滅であると,解剖・断種・中絶を断行した。この両極の評価が,彼もまた人間である証左である。人間であるから独善性の落とし穴に陥ることもある。しかし,本人はそのことに気づきもしなかっただろう。
光田の悲劇は,誰の声にも耳を貸さなかったことだと思う。それだけ第一人者としての使命感と自負心があったのだろうが,彼の偏狭な考えがわが国のハンセン病政策を誤らせたのも事実だ。


…戦後はとくに人類の福祉が重んぜられ,また人権が尊重せられるようになって,まことに結構なことである。ただ人類の福祉のためにライを予防するのであり,予防の手段として隔離をするのである。

気の毒なライ者とライ者の家族を国家がめんどうをみるのは当然のことである。私も生涯を打ちこんで,ライ者の生活を好転させるよう努力を惜しまなかったつもりである。

光田健輔『愛生園日記』

あらためて私は,Der Zweck heiligt die Mittel(目的は手段を正当化する)ことの恐ろしさを痛感している。
光田は「人類の福祉」という<目的>のために,<手段>として「隔離」を最適と考え実行した。
<手段>の適切さの検証が十分になされなかったこと,何よりも光田の独善性や傲慢ともいえる頑固さ,偏狭さが他者や世界の声(手段)を黙殺したのだ。

ハンセン病者を探し出し,強制隔離をしておきながら,そして自分たちでハンセン病者が危険な存在であるという偏見を植えつけ,勝手にハンセン病者を「不幸」だと決めつけておきながら,それを隔離政策の犠牲者の福祉や生活のためだというのである。「国家がめんどうをみるのは当然」という光田の言葉が端的に示すような,自分たちはハンセン病者のために尽くしている,「不幸な」ハンセン病者のめんどうをみてやっているなどという傲慢な「自意識」こそが,権力者の思想である。こうした傲慢な権力者の思想が「福祉」というシンボルによって,その実態を暴露されることなく,憲法違反の隔離政策を長きにわたって継続させてきたのである。

「ハンセン病訴訟と権力者の思想」(石埼学)

もし光田健輔が生きていれば,なお彼は頑強に自らの信念を主張しただろうか。

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2010年08月06日

パターナリズム(paternalism)

この言葉は,先日のハンセン病市民学会の交流集会,総括座談の中で,ハンセン病国賠訴訟西日本弁護団代表の徳田靖之氏と前九州大学大学院教員の内田博文氏からハンセン病問題を考えるうえで重要なキーワードとして提起された概念であった。

この概念について以前より知ってはいたが,それほど気にも留めていなかった。今回,両氏より「熊本県の黒川温泉ホテル宿泊拒否事件」を例に,このpaternalismの問題性が指摘され,さらに光田イズムの問題点との関連も含め,今後のハンセン病問題解決に向けた人々の意識改革を考えるうえで,さらには共生社会の実現にとって重要なキーワードであるとの提起を聞きながら,実に納得できた。

宮坂道夫氏の『ハンセン病 重監房の記録』に,次の一文がある。少し長いが抜粋して引用する。

「強制隔離」「強制労働」「断種」「懲罰」という四つの権力は,それぞれを取り出して考えてみると,患者を弾圧する,人道に反する類のものに見える。なぜそのようなことを思いつき,実行したのだろうか。
ここで,個人が,これを「善行」として−よかれと思って−行っていたと,仮定してみよう。そのようなとらえ方をするための鍵が,医療倫理学のなかにある。…「パターナリズム」という概念である。パターナリズムの「パター(pater)」は「父親」を意味することばであり,まさしく父親と子供のような関係が出来上がっていることをいう。つまり,当事者のあいだに力の不均衡があり,「強者」は「弱者」に対して「恩恵」を与えるように振る舞うべきだという価値観のことである。
                     (中略)
これに対し,日本における「医は仁術」のニュアンスは,専門知識を有し,社会的地位の高い医師が,患者にかける憐れみの情を含んでいるように思える。特に,「救らい」ということばで語られてきたハンセン病政策については,それに関わる医師。看護師,あるいは宗教家や社会事業家,政治家,学者,文化人,そして皇族までもが,皆「恩恵」を患者に与えようとしている。これは当の本人が自覚しているにせよそうでないにせよ,「目上の者から目下の者へ」というパターナリズム本来の意味に近い構図のもとで成り立つ倫理観である。
                     (中略)
光田健輔は「救らいの父」と呼ばれた。…しかし,「救らいの父」といわれるとき,そこには弱い立場に置かれたハンセン病患者たちを子供に見立て,それを「庇護」する父親のような光田のイメージがある。
                     (中略)
パターナリズムということばの通り,光田は自分を「家長」に,患者を「子供」になぞらえている。家族のような慈愛に満ちた世界を構築したいというのが彼の理想であった。しかし,光田は,親が子供を罰することができるように,家長たる自分も患者を罰する権限を持つ,と述べている。

光田健輔に関しては,彼の理想と現実,功罪については検証したいと考えているが,パターナリズムから彼の言動を考えるとき,強制隔離・断種・中絶など彼が推進したハンセン病対策が理解しやすい。「懲戒検束」の必要性や草津の重監房の設置も彼の思考の延長にあったことは容易に理解できる。

だが,彼の「光田イズム」が各療養所の職員にどれほど正しく伝わっていただろうかと思う。
「草津に行くか」「頭を冷やしてくるか」の言葉を安易に発することができた彼らの意識を考えるとき,各療養所の園長や職員のハンセン病患者に向けられた理解と「まなざし」はどのようなものであっただろうか。「光田イズム」の負の部分が誇大に伝わっていったように思える。


『ハンセン病とともに心の壁を越える』(熊本日日新聞社編)に,「黒川温泉ホテル宿泊拒否事件」について次のような一文が載っている。これもやや長い引用になるが,今後の差別問題を考えていくために重要な示唆であるので,抜粋して書き残しておく。

事件発覚から二日後。ホテルの総支配人が菊池恵楓園を訪れた。入所者が謝罪文の受け取りを拒否すると,園には誹謗,中傷の手紙や電話が殺到した。事件は,宿泊拒否のような確信犯的差別の背後に,広範な差別感情が横たわっている現実を突き付け,差別の「二重構造」を浮かび上がらせた。
…「温泉に入るよりも骨つぼに入れ」「鏡を見たことがあるのか」。この中には,差別感情をむきだしにしたものも少なくない。
しかし,最も悩ましいのは,「苦労は知っている」と前置きした上で,非難に転じるパターンだ。「いままでの長期間の苦労については同情します」「あなた方が過去に受けた差別的処遇は,同情の念を禁じ得ません」。そして,「しかし…」と続く。
「同情」の最大の弱点は,対等な関係を築けていないということだ。同情されるべき人たちが控えめに生きている間はよき理解者だが,彼らが権利を主張して立ち上がったりすると態度を一変させ,「身の程を知れ」と攻撃に転じてしまう。今まで理解を示してきたことなど忘れ,排除の対象としてしか見えなくなる。しかも,自分が差別者だと自覚していないから,なおさら手ごわい。

…「ねたみ」から来る差別も深刻だ。「税金で運営されている施設で生活しているあなたたちは,差別されて当然です」「不満があったら,働いて納税の義務を果たせ」。国立の療養所で生活を保障された入所者たちは,ややもすると「うらやましい」だけの存在に映ってしまう。なぜそこで一生を過ごさなければならなかったかという,歴史的理解が欠如しているためだ。

                      「おわりに」

「光田イズム」の本質であるパターナリズムは,人々の意識の「二重構造」にも潜んでいる。「同情論」の背景にも潜んでいる。そして,時として「教条主義」とも結び付く。これらに共通しているのは,自分の問題ではない(ハンセン病患者ではない,部落出身者ではない)という「他人事の意識」と,自分は彼らの理解者であって差別者ではないという「自己正当(正論)化の認識」である。そして,「対等」「平等」と自分では思っていることである。

価値(判断)基準(尺度)は,彼らではなく「自分」なのだという意識がない。「同情する」ではなく「同情してやっている」に立っている。パターナリズムは,容易に自己正当化を肯定する。

加えて,宿泊拒否事件に絡む誹謗,中傷は「第二,第三の差別の存在をクローズアップさせた」と国賠訴訟弁護団の徳田弁護士は指摘する。
「被害者が控えめにしている限りは同情的だが,不当性を訴えて立ち上がった途端,手のひらを返したように非難に転じる人がいる」。謝罪文の受け取りを断った後に顕著になった入所者への非難,中傷がこのタイプだという。
「国の隔離政策にこそ問題があって,ホテルを責めても問題解決にならない」と,高見から忠告する人たちもいた。二つに共通するのは,自らを差別者として意識していない点だ。
宿泊拒否したホテル幹部と,それを指示する層。その背後に広範に存在する第二,第三の層。これを「差別の二重構造」と徳田弁護士は分析する。

「被害者が控えめにしている限りは同情的だが,不当性を訴えて立ち上がった途端,手のひらを返したように非難に転じる」のは,光田健輔と同じパターナリズムである。自分の言うとおりに従順であれば「恩恵」を受けることができる。だが反発する者に対しては「懲罰」が命じられる。


これらの差別をどう克服していくのか。
もちろん,ハンセン病問題を正しく知ることから始まるのは言うまでもない。だが,偏見は誤解とは違う。いくら正しい知識を得たとしても,差別がそれですべてなくなるとは限らない。要は,当事者たちが味わった痛みや苦しみをどこまでわが身に置き換えられるかだ。
日本では,隔離政策が長く続いたため,療養所に暮らす入所者だけでなく,ハンセン病問題そのものが忘れられてきた。ハンセン病問題が語られるようになったのは,らい予防法が廃止された以降。今まで意識の外にあった人たちだけに,社会の目には「特別な人たち」「異質な存在」と映った。
しかも,当事者が語る隔離被害はどれも苛烈を極め,にわかに信じ難い話ばかりだ。日本の隔離政策を理解する上でも個人史を知ることは不可欠だが,その部分だけにスポットが当たりすぎると,いつまでたっても,入所者は「かわいそうな存在」から抜け出すことができない。
もちろん,つらい過去への理解は必要だ。だが,「同じ人間なんだ」ということを忘れてはならない。…彼らの人生にリアリティーを感じてこそ,「特別な人」「かわいそう」という同情の克服にもつながっていく。そのためにも,今までのような一方通行的な啓発ではなく,感情を共有できる心の交流が必要だ。

                                          (同上)

ハンセン病問題だけでなく部落問題,人権問題すべてに共通する解決・克服への提言と思う。

あらためて「知識」だけでは差別問題の解決には不十分であると痛感する。正しい知識を教えれば,新しい知識が伝われば…幾度となく聞いてきたことだが,部落史の見直しにより「知識」も改められたり新しくなったりしてきたが,未だに部落問題の解決に光明は差していない。

「頭ではわかっているのだが…」「知識では理解できるのだが…」と,どれほど聞いてきたことだろう。人間は「知識」だけで自分の生き方や在り方を変えることができるほど単純ではない。最もやっかいなのが「感情」である。感覚・感性・感受性である。

…「人々のあいだに差別感情がある限り,旅館経営者として宿泊を断るのもやむを得ない」というホテル側のいい分の背後には,私たち国民の「感覚」の世界が広がっていた。そこには「見た目が気持ち悪いのだから,差別意識を抱くのも仕方がない」とか「楽しい旅行の最中に,ホテルであんな人たちが一緒の風呂にいたらイヤだ」という感覚を抱く人たちがいた。
もちろん,国や自治体,あるいは医療,教育,報道などに関わる人たちが,この病気の正しい知識を国民に持たせる教育的施策を怠ってきた,という無策の責任もあるだろう。しかし,私たち人間の心のなかに,差別や無知の根本的な原因があるのは間違いのないことだった。

                   (宮坂道夫『ハンセン病 重監房の記録』)

差別や偏見を払拭するために正しい「知識」が必要ことは当然である。しかし,それだけで人権問題が「解決」しないことも,差別や偏見が「解消」しないことも事実である。
「知識」を万能と思い込むのは,「象牙の塔」の住人か「たこ壺」のような世界から首だけ出して世の中を見ている人間たちだろう。狭い交流範囲でしか日常生活を過ごすことのない彼らの理想論など机上の空論である。

「知識」と「感情」のギャップを克服するためには,自らの生き方やあり方を多くの人々との交流の中で問い直すしかない。

重監房を一つの極とする日本のハンセン病政策は,世界のハンセン病の歴史の上でも,また医学の歴史の上でも,これまでに十分に記述されていない新しい歴史的事実を提示する。それは,社会的差別が根強い病気の対策として,病気ではなく患者を消し去る政策が,一つの近代国家のなかで実現したことであり,その手段として,医療にたずさわる人間が患者に懲罰を与え,死なせたという歴史的事実である。
これは,世界の人々にとって,貴重な学習の機会となるはずのものだ。

                                           (同上)

差別や人権侵害は現実の日常生活の中で行われている。人との関わり・交わりの中で差別や偏見が生まれる。その「歴史的事実」を学び,自分の生き方・あり方,自らの内にある差別意識を克服していく以外に,この「感情」を変革することはできない。

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2010年07月29日

死者達の沈黙が語るもの

ハンセン病問題に関する検証会議が明らかにした成果と課題,これを我々も自らの課題として受けとめなければならない。

『検証会議−ハンセン病と闘った人達に贈る書』の「終章」が「検証会議」の成果と課題についてまとめている。


ハンセン病問題が人間の尊厳を踏みにじった人権問題であることは,遺体解剖・断種手術(ワゼクトミー)・強制堕胎(中絶)手術に象徴されるように明白な事実である。そして,その証拠がすべての療養所で製作された「胎児等標本」であり「病理標本」である。

本書の終章に,検証会議最終報告書「胎児標本等についての検証」に関して「死者達の沈黙が語るもの」と題した要約がある。抜粋して掲載する。

この題名にこそ,検証会議に託したハンセン病回復者の思いが込められている。彼らが声を上げなければ「死者」は無念の中でなおも沈黙の時を過ごしているだろう。
「死者」が長い沈黙の時を経て,療友によって蘇ることができ,そして語り始めた声に耳を傾けなければならない。知らなかったでは,同じ時を生きてきた責任,国家の政策に疑問を投げかけ,彼らのために行動しなかった責任が許されるものではない。

「知ったことに対する無責任は,悪ですらなく人間の物化である」という高橋和巳の言葉が心を打つ。あらためて自分には何ができるか,問い続けなければならない。

「『かわいい女の子だよ。髪の毛もふさふさしてあんたに似てるよ』看護婦はこういうと声が出ないように赤ん坊の顔を押さえた。顔にガーゼがかぶせられ足をばたばたさせるのを見た。それが我が子を見た最後だった。」

全国の国立ハンセン病療養所などには,こうした人工流産か人工早産などによる一胎児または新生児のホルマリンにつけられた標本がたくさん保存されている,とする「胎児等標本についての検証」の結果を報告書として検証会議は1月27日,厚生労働省に提出するとともに記者会見を行い,その内容が明らかにされました。


ハンセン病療養所は患者の隔離・撲滅を基本理念とし,所内での出産・育児を認めず,そのため妊振中絶・人工早産を実施。時には生まれてしまった新生児の命が,職員の手によって無理やり奪われた悲惨な光景も想像に難くなく,それを裏付ける相当数の証言が「らい予防法違憲国賠訴訟」において見られました。今回の検証事項の中で,この問題ほど,入所者の人間としての尊厳を傷つけ続けたものはないし,何故こんなことが起こったのか,厳しく検証する必要があった,ということです。


現在,胎児標本の残っている施設は六ヵ所,一施設あたり数量は一体から四十九体,合計百十四体であること,標本製作の時期は1924(大正13)年から1956(昭和31)年までの約32年であり,標本の製作年月日に関しては,不明が50%と半数を占め,明らかなものは昭和十年代が最も多く,昭和二十年代がこれに続くこと,ホルマリンに長期に保存されると胎児等の体重は大幅に減少し,産科学的胎齢とは合致しないと推測され,これに反し,体長はほぼ充分に保たれているように思われるので,体長を用いて胎齢を推測し,解析を試みたこと,その結果,二十九体は妊娠八ヵ月(32週)を過ぎ,そのうちの十六体は三十六週以後に産まれたと推測され,少なくとも25%以上が妊娠中絶ではなく,人工早産もしくは正期産であること,従って入所者の訴えのなかでの「出て来た赤ん坊が泣き,看護婦が『元気な男のお子さんですよ』と知らせ,そしてしばらくすると遠くで赤ん坊の泣き声が止んだ」などという証言が真実性の高いものであることが裏付けられた,ということです。

なお検証していくと,その多くは何ら人工的操作が加えられていない。研究または実験をしようと思えば切開瘡が残り,臓器を摘出した痕跡が残るはずであるが,残された胎児等標本の約80%にそれが認められない。さらに人工的操作の加えられたものには,胎児等に加えられた切開瘡が解剖の常識を逸脱したものが多く,なかには無慘にも両眼のみがくりぬかれたものもあり,胎児の尊厳,考え方によっては生命そのものの尊厳をいたく冒涜するものである,と。

胎児等標本を検証している間に,同時に保存されている病理標本および手術摘出材料に関しても検証する必要のあることが明らかになった。なぜなら,胎児標本等と類以の問題を有しているかである,ということです。

胎児等標本と同様,その保存管理の杜撰さが目につくが,その環境は至って不完全で,複数の施設において一つのポリバケツに多くの材料が雑然と保存されていた。


ハンセン病医学の歴史のなかでその中心に君臨しつづけた光田健輔が病理学者であった事実は大きな影響を与えたが,ハンセン病の病理を研究することで医師としてのスタートをきった光田は,常に精力的に病理解剖をこなしながら全生病院医長,同院長を経て愛生園園長に昇進。この病理学者・光田を慕って多くの医師がハンセン病にかかわるようになった。その光田の生涯を記した文章の中には,病理解剖の情景を賛美した記述がきわめて多く,たとえば「なかでも結核,腎臓,肺炎などの死亡率が高い。その遺体の一つ一つが私たち医局員の重要な研究材料として提供された。それは日曜日だろうと祭日だろうと敢行された」(桜井方策編「救癌の父・光田健輔の思い出」リーガル社刊)
先生(光田)は言われた。「ここには研究材料が無限にころがっているのですからね。ただそれを使う人がいないばかりにむざむざ放って置くだけなのだ」(神谷美恵子「新版人間を見つめて」朝日選書)など枚挙にいとまがない。

入所者には「解剖承諾書」への署名が強要され,半数以上の療養所で1980年頃まで,ほぼ全死亡例への病理解割が継続されている。これらの文章から読み取れるのは精力的に病理解剖がなされたが,亡くなった患者はあくまでも研究対象物として扱っている。病理解剖の目的の一つは,その成果を発表して医学,医療の発展に寄与することであるが,果たして膨大な数に上る解剖結果が,医師たちによってどれくらい発表され,世に問われたかを考えると大きな疑問が生じて来る。

また,病理解剖であれば,死亡の原因となった疾患を研究するため,主たる病変の認められる臓器およびその影響が及んだと考えられる臓器が切り出され,保存されるのが医学的常道であるが,ハンセン病療養所に保存されているのは体のほぼすべての臓器であり,保存の目的が全く理解不能で,この点でも医学的常識を極めて逸脱している。このあたりの倫理感の欠除も充分指摘されねばならない,ということです。

胎児標本のうちの生産児の死亡の可能性のある例については,検証結果をもとに在園者,全療協などの意見を踏まえ,厚生労働省が関係当局に対し検視の申し出か異常死体の届け出をするよう意見を述べるべきであること,国立ハンセン病療養所における倫理水準の低下は否めず,医療倫理の改善は当然要求されなければならないし,特に医療の中心にある医師たちの倫理面での教育は重大な課題であること,そして百十四体の胎児等標本,多くの手術摘出材料,二千体をこえる病理標本は何を物語っているのであろうか。今日まで我が国のハンセン病医療にかかわって来たすぺての者に対して「何をしたのか」と強く問いかけているのではないだろうか。たとえ,これらの遺体が丁重に供養され,懇ろに葬られたからといって,この事実は決して風化させ,忘れさせてはならない,と結ばれています。

「解剖天国」とさえ言われたハンセン病療養所の実態を生み出した源は,光田健輔である。彼のハンセン病撲滅への「善意」が「悪魔的な精神」を肯定する論理を生み出したのだ。目的が手段を正当化したのだ。
光田が正当化した方向と論理が,彼に続く医療従事者にも「自己正当化」を容易にさせたのである。何ら疑うことなく,すべては「ハンセン病撲滅のため」という大義名分によって「善意による肯定」が罷り通ってきたのである。解剖も断種も,堕胎そして殺人すら罪に問われることなく「肯定」された。

私はあらためて独善的な思考の恐ろしさを痛感する。思い込みによって麻痺させられる精神の歪みを恐ろしいと感じる。
医療従事者が何ら疑いをもつことなく遺体を解剖し,病理標本を作製したことも,中絶により命を絶ち,生まれた生命さえ抹殺し,さらにはホルマリンに漬けて保存し続けたことに,彼らは良心の呵責さえ覚えなかった。

自分の行為が他者にとって如何なるものであるかさえ気づかない「独善性」と「自己正当化」に終始する人間がいる。他者の声を聞こうともしない。傲慢さは,他者を傷つけても痛みさえ感じないのだろう。独善による独断的な批判など正当な批判ではない。

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