2010年07月29日

草津重監房

沢田五郎氏の『とがなくてしす−草津重監房の記録』を一気に読み終えた。何とも言えない重いものが胸にのしかかって言葉を失ってしまった。ただ唯一の救いは,「初版あとがき」に書かれた次の言葉だけだ。

人間社会にはいろいろな人がいて構成されている。賢者もいれば愚者もいる。身障者も健常者も,健康,不健康入り混じって響き合って発展しているのである。それらの中で,あの者はこの社会にいてほしくない,などと決めつけてはいけないのだ。ある者をそのように決めつける社会は不健全であり,不健康である。
病気を病まない人が,あの病気に罹ったらもう生きる甲斐はないと言うとすれば,その人は強い差別感情の中にどっぷり浸っている可哀想な人ということになる。病んだ人がそう言うとすれば,病まずに言っている人より強い差別者である。どのような境遇の下でも人が生きているかぎり,そこには人生がある。また,その人生が過酷であればあるほど,それに負けずに生きぬく人が輝くのである。

共生社会の本質を端的に述べた至言である。そして,我々はようやく,その入口に立つことができたに過ぎない。歴史に学ぶとは,過去を知ることではなく,過去から学ぶことである。
栗生楽泉園に造られた「上の監禁室」とも「重監房」ともいわれた「特別病室」から学ぶべきことは多い。そして大きい。

なぜ「特別病室」が造られたのか,なぜ造らなければならなかったのか,その目的は何であったのか。そこで行われた非人間的な仕打ちの数々,人間が人間に対してここまで残酷に,冷酷になれるのだろうか。だが,それはまぎれもなく事実であった。


同書より「重監房」を説明している部分を引用してみる。

建坪三十二坪(約百八平方メートル),二棟になっていて(一棟だが,迷路のように通路が入り組んでいたので二棟と思われたという説もある),治療室と看守の控室と,罪を犯した患者を入れる房が八房。一房の広さは便所も含めて約四畳半,床は厚い板張りで,壁には,コンクリートがむき出しのところもあったが鉄板が貼られており,高いところに一ヶ所明り取りの窓がある。この寸法は縦十三センチ・横七十五センチで,硝子戸が二枚はめられ,引き違いに動くようになっている。窓の外には鉄格子がある。食事を差し入れる窓は足元にあり,普通の便所の掃き出し窓より小さく,汁椀がやっとくぐるくらいとなっている。
周囲には高さ四メートルの鉄筋コンクリートの塀が巡らされ,内房も一房一房,同じ高さの塀で仕切られ,通路にも一房ごとに三尺角(約一メートル四方)の扉がある。その扉はいうまでもなく,錠が下ろせるようにできている。
最初の扉をくぐってから一番近い房へ行くまでに四つの扉をくぐらねばならないところから,この房を「五重の扉に閉ざされたところ」と書いている本もある。収監者を出し入れする扉は三尺角で,太い木の格子,その内側に部屋に張られたのと同じ鉄板が打ちつけてあり,外側には鉄棒が何本かつけられている。
電気の配線はなされていたが電球は取りつけてなく,収監者には袷一枚と布団二枚が与えられただけで,火の気は与えられない(入れられるときに着ていた下着はそのまま,六月から九月までは単,十月から袷で,帯はない。布団は敷一,掛二だったとの説もあるが,いずれにせよちゃんと打ち直して再生した布団ではなく,ぼろ倉庫に収められていたものを与えたことには間違いない)。
明り取りの窓は高くて小さいゆえ,幾重にも高い塀で閉ざされた塀の中は暗く,曇った日には昼夜の区別さえつかなかったという。そして,誰かが掃除をしてくれるわけではなく,箒も雑巾もないから,湿気るにまかせ,冷えるにまかせるほかはなく,冬は吐く息が氷柱となって布団の襟に下がり,房内は霜がびっしりと降りた。

草津の冬は厳しい。同書には,夜明け前の温度がよく零下十八度と放送されたとある。重監房の気温はそれ以下であったことは容易に想像できる。「冷蔵庫の冷凍室の寒さである」重監房で冬を越すのは奇跡に近い。

収監者には減食の刑も課せられているので,日に二回,薄い木の箱に入れた少量の飯が差し入れられるだけである。朝食は一般に給食と同じ時間に出され,汁がついている。ただし汁の実はなかったという。昼は一般の給食より少し早く,汁はなく,飯は朝の箱より五割方大きい箱に入れられていて,これ以後の食事はない。おかずは朝昼とも梅干一個だった。

…昼は汁はないので,やかんでお湯をやるのである。そのやかんも,守衛詰め所の外に置かれていて,「お願いします」と言うと守衛が沸いた湯の入ったやかんを提げて出てきて,それを入れてくれたとのことだ。

あまりの悲惨な処遇に唖然とする。刑務所よりも残酷な扱いである。


この重監房に収監された人数は92人であると,1947年の衆議院厚生委員会で厚生大臣及び東龍太郎医務局長が答弁している。この92人のうち「十四人が監禁中又は出室当日に死亡し,監禁と死亡との間に密接な関係があると厚生省が認めた者は計十六人に上がる」とある。しかし,確実な人数ではなく,18人とも22人ともいわれている。多くの人命が重監房で無残に失われた事実は確かである。

中で死んだ人を運び出す話がまたすごい。死ぬのは主に冬であるから,死体は凍りついているのである。そのため,布団ぐるみ運び出さなければならない場合が多かったが,その布団ががっちり床に凍りついているので,かなてこでも用意してゆかないと引き剥がせなかったというのだ。また,「この中で死んでいるはずだが」と言われて小窓から覗いてみるが,布団の中にそれらしい死体はない。周囲にもない。かわるがわる覗いてみるうち,あれではないかというものがあって,そこを見ると,片隅にうすぼんやりと白い塊がある。そこで扉を開け,勇を鼓して中へ入り,よくよく見るとそれが死体で,うずくまったままそこでこときれ,びっしり霜をまとっていたというのである。まさに冷蔵庫の冷凍庫の寒さである。

posted by 藤田孝志 at 13:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 重檻房 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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