2010年07月29日

癩予防ニ関スル件

帝國議會ノ協賛ヲ經タル癩豫防ニ関スル法律ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム

 御 名 御 璽
      明治四十年三月十八日

内閣総理大臣侯爵 西園寺公望
内務大臣       原   敬

法律第十一號(官報 三月十九日)

第一條 醫師癩患者ヲ診斷シタルトキハ患者及家人ニ消毒其ノ他豫防方法ヲ指示シ且三日以内ニ行政官廳ニ屈出ヘシ其ノ轉歸ノ場合及死體ヲ検案シタルトキ亦同シ

第二條 癩患者アル家又ハ癩病毒ニ汚染シタル家ニ於テハ醫師又當該吏員ノ指示ニ從ヒ消毒其ノ他豫防方法ヲ行フヘシ

第三條 癩患者ニシテ療養ノ途ヲ有セス且救護者ナキモノハ行政官廳ニ於テ命令ノ定ムル所ニ從ヒ療養所ニ入ラシメ之ヲ救護スヘシ但シ適當ト認ムルトキハ扶養義務者ヲシテ患者ヲ引取ラシムヘシ
必要ノ場合ニ於テハ行政官廳ハ命令ノ定ムル所ニ從ヒ前項患者ノ同伴者又ハ同居者ニ封シテモ一時相當ノ救護ヲ爲スヘシ
前二項ノ場合ニ於テ行政官聴ハ必要ト認ムルトキハ市町村長(市制町村制ヲ施行セザル地ニ在リテハ市町村長ニ準スヘキ者)ヲシテ癩患者及其ノ同伴者又同居者ヲ一時救護セシムルコトヲ得

第四條 主務大臣ハ二以上ノ道府縣ヲ指定シ其ノ道府懸内ニ於ケル前條ノ患者ヲ収容スル爲必要ナル療養所ノ設置ヲ命ス.ルコトヲ得
前項療養所ノ設置及管理ニ關シ必要ナル事項ハ主務大巨之ヲ定ム
主務大臣ハ私立ノ療養所ヲ以テ第一項ノ療養所ニ代用セシムルコトヲ得

第五條 救護ニ要スル費用ハ被救護者ノ負擔トシ被救護者ヨリ辮償ヲ得サルトキハ其ノ扶養義務者ノ負擔トス
第三條ノ場合ニ於テ之カ爲要スル費用ノ支辮方法及其ノ追徴方法ハ勅令ヲ以テ之テ定ム

第六條 扶養義務者ニ對スル患者引取ノ命令及費用辮償ノ請求ハ扶養義務者中ノ何人ニ對シテモ之ヲ爲スコトヲ得但シ費用ノ辮償ヲ爲シタル者ハ民法第九百五十五條及第九百五十六條二依リ扶養ノ義務ヲ履行スヘキ者ニ對シ求償ヲ爲スコトヲ妨ケス

第七條 左ノ諸費ハ北海道地方費叉ハ府縣ノ負擔トス但シ沖縄縣及東京府下伊豆七島小笠原島ニ於テハ國庫ノ負擔トス

一 被救護者又ハ其ノ扶養義務者ヨリ辮償ヲ得サル救護費
二 檢診ニスル關スル諸費
三 其ノ他道府縣ニ於テ癩豫防上施設スル事項ニ關スル諸費

第四條第一項ノ場合ニ於テ其ノ費用ノ分擔方法ハ關係地方長官ノ協議ニ依リ之ヲ定ム若シ協議調ハサルトキハ主務大臣ノ定ムル所ニ依ル
第四條第三項ノ場合ニ於テ關係道府縣ハ私立ノ療養所ニ對シ必要ナル補助ヲ爲スヘシ此ノ場合ニ於テ其ノ費用ノ分擔方法ハ前項ノ規定ニ依ル

第八條 國庫ハ前條道府縣ノ支出ニ對シ勅命ノ定ムル所ニ從ヒ六分ノ一乃至二分ノ一ヲ補助スルモノトス

第九條 行政官廳ニ於テ必要ト認ムルトキハ其ノ指定シタル醫師ノ檢診ヲシテ癩又ハ其ノ疑アル患者ノ檢診ヲ行ハシムルコトヲ得
癩ト診断セラレタル者又ハ其ノ扶養義務者ハ行政官廳ノ指定シタル醫師ノ檢診ヲ求ムルコトヲ得
行政官廳ノ指定シタル醫師ノ診斷ニ不服アル患者又ハ其ノ扶養義務者ハ命令ノ定ムル所ニ從ヒ更ニ檢診ヲ求ムルコトヲ得

第十條 醫師第一條ノ届出テ爲サス又ハ虚僞ノ届出ヲ爲シタル者ハ五十圓以下ノ罰金ニ處ス

第十一條 第二條ニ違反シタル者ハ二十圓以下ノ罰金ニ處ス

第十二條 行旅死亡人ノ取扱ヲ受クル者ヲ除クノ外行政官廳ニ於テ救護中死亡シタル癩患者ノ死體又ハ遺留物件ノ取扱ニ關スル規定ハ命令ヲ以テ之ヲ定ム

  附則

本法施行ノ期日ハ勅命ヲ以テ之ヲ定ム

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ハンセン病国賠訴訟

ハンセン病違憲国賠訴訟の記録である『ハンセン病違憲国賠訴訟裁判全史』(全9巻)を読み進めながら,この大部の裁判記録・証言の数々が明らかにするものは,まさしく「無関心」「無関係」が生み出す人権侵害・人権問題の構造であると思う一方で,アイヒマン裁判と同じものを感じている。それは,組織の歯車となった「人間の物化」である。ただ命じられたから忠実に職務を遂行したという,非人間的な行為さえ正当化する論理への怒りである。

光田健輔以降,全国の国立療養所の園長や医者,関係職員がいたはずなのに,なぜ彼らは,最もハンセン病に関する最新の知識や世界的な動向を知り得たにもかかわらず,らい予防法の放置し,あるいは強制隔離に異議を唱えず,懲戒検束を行使してきたのだろうか。


原告の意見陳述書や証言を読みながら,彼らの辛酸と苦悩,悲哀の日々に思いを馳せ,怒りを押さえきれない。

大谷藤郎・和泉眞藏・犀川一夫・成田稔の4人の証人尋問調書を読むことで,あらためてハンセン病問題の事実と本質がわかった気がする。ハンセン病問題は国家による犯罪であり,人間が生み出した作為の過誤である。社会的弱者は国家により作られ,国家によってスティグマの烙印をおされ,それを公然化され,人々の意識と感情に植え付けられ,差別と偏見が黙認的に助長された。これは,優生思想を背景とした民族浄化を肯定化した構造的犯罪である。

ハンセン病問題と部落問題の類似性をここでも感じる。

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人間の尊厳

畑谷史代『差別とハンセン病』に,先日のハンセン病市民学会で最も刺激的な提起をされた(と,私は思っている)内田博文氏のインタビューが載っている。非常に考えさせられる内容なので,私見を述べてみたい。

本書は「平凡社新書」の一冊である。ページ数も多くなく安価でもあるので,ぜひ多くの方に読んでもらいたいと思う。

(佐伯千仭)先生は「学問には,賢者の学問と愚者の学問がある。どちらを取るかが非常に重要だ。私は愚か者の学問が一番だと思う。お前は賢者の学問を志している」と言うのです。先生が言いたかったのは,刻苦勉励してがんばればがんばるほど,自分は神に近づいていると思い込んでしまう,それがだめだ,ということ。それは別の言い方をすれば,自分は神様ではない。過ちを犯すんだ,とわかることだと思います。先生は「歴史を勉強しなければいけない。絶えず歴史を見つめなければ,方向を見失う」とも話していました。

人間の高慢さ,自意識の過剰さを言い得た言葉と思う。「自分を神にしてしまう」人間は案外と多い。自分のことは棚に上げて人を批判して悦に入る人間,本人はそのことに気づきもしない。人を批判することばかり続けていると,自分がさも偉くなったかのように錯覚してしまう。

光田健輔もまた自らを「神」のように思い込んでしまったのだと思う。「救癩」という大義名分の下で自分の行為を正当化していった背景には,彼のパターナリズムとエゴイズムがあった。


本書の「資料編」は検証会議の「最終報告書」をもとに明らかとなった「問題に対する視点」を整理したものである。私もこの報告書をダウンロードして製本しているが,大部であるためにすべてを読み終えていない。本書は簡潔にまとめてあってわかりやすく問題点を把握できる。今夏には,「最終報告書」を内田博文氏の『ハンセン病検証会議の記録』とあわせて読み直してみるつもりである。
特に今後の人権問題を考える上で「各界の責任」に言及している部分は重要な提言をしている。

「隔離政策と表裏一体」であったと指摘された「教育界」の責任は,今後の学校教育にとって教訓とすべきものである。
それ以上に興味深く読んだのは「宗教界」の責任を糺弾した部分である。「ある意味で,究極の人権侵害」だと指摘された「宗教界」についての検証は,以前から私が宗教に対して感じていた危惧を明確にしてくれた。

私は無神論者ではあるが,宗教を否定するものではない。宗教のもつ人間を支える精神的・道徳的な側面は認める。しかし,その一方で宗教のもつ教条主義や独善的な面には違和感を強くもっていた。

入所者に隔離の受容を説き続けた宗教者たちの行為は,隔離により人の尊厳が踏みにじられている事実自体に覆いを被せる結果となった。また,特に戦前の宗教界が国家政策と完全に連動し,国の立場に立っていた点で,「作為」の責任を免れ得ないとする。

「宗教的慰安」や「救済」の内実は「諦めの境地」で,信仰の名の下に,入所者に隔離の現実を受容させていく効果があった。隔離に抗した宗教者も一部に存在したが,多くは「宗教的使命」として隔離政策を進めた。国が隔離政策推進にあたって「皇恩」を強調したことに合わせて,各宗教教団も「皇恩」をそれぞれの宗教性の中に取り込み,さらに社会にも発信していくことによって,国家の期待に応えていった。

私が宗教に対して,その深い同情と慰安の気持ち,敬虔な心情と純真を認めながらも,なお不快感を感じるのは,信じる信仰への純真さゆえに絶対化し,それに反することを否定・排除する教条主義である。
自分の信じる宗教,あるいは「神」を絶対化し,それに自己を同化させて,自らを絶対化する宗教家がいる。明らかに教義と反する言動を行いながらも,そのことを正当化し,教団もまた黙認している。いかに立派な教義や戒律を唱えようとも,所詮人間は人間でしかない。神にはなれないのだ。だが,不完全である人間だからこそ,まちがいを正して,修正することができる。絶対化した神にはそれができない。神の教えを実践することと実践していると思い込んで自分を絶対化することは真逆である。自分のまちがいや過ちを認められず,改めようともせず,ひたすら詭弁を弄して自己正当化を図ることに何の意味があるだろうか。

自らの存在を,様々な屈辱的政策により卑下するしかない状態に貶められている入所者にとって,療養所で生活することそのことが「救済」となるという教えは,療養所の中で一生を送るということに大きな価値の転換を与えるものであり,生活の光であったのではないか。(中略)人間の尊厳が踏みにじられることの最後の防衛手段,それは,尊厳が踏みにじられているという事実に覆いを被せてしまうことである。その事実のところには,どれだけ酷い境遇に置かれようとも,なお生きるという人間の強さと,生きねばならない人間存在の深い悲しみが横たわっており,誰にも批判することはできない。しかし,そのことが,隔離をしてきたものによって企図されてきたという面に関しては,徹底して問われなければならない事柄である。

『ハンセン病問題に関する検証会議最終報告』

キリスト教の教義には,人間の根源的な生き方や在り方への深い洞察と示唆がある。
内田博文氏の次の言葉が心に残っている。

ワイツゼッカー(元大統領)は「戦後,ドイツの出発点となる,そして永久に忘れてはならない言葉が人間の尊厳だ」と言っています。

検証会議の聞き取りの中で,国立ハンセン病療養所多摩全生園内の秋津教会の牧師の方が「人間の尊厳」という言葉を使っていました。「我々は人間の尊厳ということについて理解が不十分だった」と。委員から「それは基本的人権ではないですか」と質問が出たら,その人はこう答えました。「基本的人権に限定すると,民主主義の多数決の原理に結び付いた時,基本的人権の名の下に少数者を切り捨ててしまいかねない。そうではなく,我々は神の前の人である。神が一人ひとりを大事だと言っている。という意味で,人間の尊厳が大事なのだ。そうすれば,AさんがBさんを切り捨てる,あるいはBさんがAさんを切り捨てるということはできないだろう。

キリスト教の「汝の隣人を愛せよ」の「隣人とは」誰であるか。自分にとって必要な人間,自分に共感し理解してくれる人間,利害の共通する人間が「隣人」なのだろうか。自分の言動を振り返ってみればわかることだろう。

(多摩全生園長野県人会の)会長から投げかけられた「『隣人』とはだれか」との問いはずっと胸に引っ掛かっていた。それは「私は決して『隣人』ではなかった」というほろ苦さとともにあった。

今日に至るハンセン病の偏見と差別を生み出した根本には,国の絶対隔離政策がある。「うつらない病気なのに社会から排除した」のは明らかな間違いだった。では,仮に「うつる病気」なら,どうなるのか。
「排除はやむをえない」としてしまうのか。それとも,「排除してはいけない」と踏みとどまるのか。あなたは,私は,どちらの側に立つのだろう−。会長が問うていること,そしてハンセン病問題の本質は,ここにあるのだと思う。
恐怖心や差別してしまう心は,打ち消しても沸いてくる。この先,幾多のそうした場面で,踏みとどまれるかどうか……。私に自信はない。だから,泣きながら,くじけながらでも,その手掛かりを人と人とのかかわりの中に,あるいは「もし自分ならどうか」という問い返しの日常の中に,探していくしかなさそうだ。


ハンセン病問題だけでなく今後の人権に関わる問題は,さまざま問題が複合的に絡み合い複雑な様相をもって現出してくるだろう。社会的・経済的な遠因も関係してくるだろう。差別された側が別の局面では差別する側となる,内田氏の言う「差別構造の階層化」も進展している。
その中で,人としていかに生きるか,いかに他者と関わって生きるかがより問われていくだろう。「隣人」を理解し認めることができなければ,差別構造の解体を社会に求めても,新たな差別受容の社会が人の生き方や在り方によって再生産されるだろう。

例えば,個人主義の広がりが「排除の自由」も含み始める危惧である。個人主義の欺瞞に気づいていくこと以外に,差別や偏見を克服する社会状況へと変革していく方向はないと思う。

差別する側にいながら,差別していることに気付いていない人は多い。自分は「第三者」だとか,むしろ「被害者を理解している」と思っていたりする。…「私もあなたも,気付かぬうちに差別していることがある」という前提に立つことが大事です。自ら過ちを犯す可能性を見つめることで,自分が「第三者」ではあり得ないことに気付く。

内田氏は個人の幸福追求権を定めた憲法十三条で保障された「すべて国民は,個人として」という「個人」に言及し,この「個人」には「すべての人」が入ることが前提であり,すべての人が入るからこそ,この条文は生きると言う。
この考えは,キリスト教の「隣人」と同じであると思う。私はキリスト教徒でもないし,無神論者であるから「神の前の人」とは思わないので,「隣人」に対して「人間の尊厳の前で」見つめていく立場に立ちたいと思っている。

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貴重な資料:自治会史など

ハンセン病市民学会以降,ハンセン病関連の書籍を読み耽って日々を過ごしている。書棚の一角を占めているハンセン病関係の書籍で読み忘れてそのままになっていた本を読み直し,さらに参考として挙げられている書籍を購入し,ひたすら読み続け,考えながらノートをとっている。

驚くべきは,入所者である彼らの記憶の確かさとしっかりとした文章である。客観的な分析と,人権意識を基盤とした人間観・社会観から生まれる公正な視点,深い洞察と考察に驚嘆する。
国立ハンセン病療養所の自治会史を読みながら,これを学者や研究者ではなく患者が分担して執筆していることに驚く。時間的な余裕があったとはいっても,資料を収集したり聞き取りを行ったり,その資料を検証したり,さらに時代背景との関係を整理したり,そして膨大な分量を執筆していく作業は,並大抵の知識や文章力では不可能だと思う。見事な一級資料集であり歴史書である。


地元の長島愛生園の自治会史『隔絶の里程』は最初に訪問したときに購入していて読んでいるが,他園の自治会史は読んでいなかった。
多摩全生園自治会史『倶会一処』,栗生楽泉園自治会史『風雪の紋』などを,最近入手した。その他の療養所自治会史も購入するつもりだが,この三冊は圧巻である。これらを時系列的に比較しながら検証していく作業で,我が国のハンセン病の政策史が明らかになる。

熊本日日新聞『検証・ハンセン病史』や『全患協運動史』なども参考にしながら歴史的経緯をまとめておく必要を感じている。その過程で,自分なりにハンセン病政策を時代背景と,光田健輔などの考えや国の政策を明らかにしていこうと思っている。


部落問題に関する書籍が古書店に安く並んだ時期がある。今も一部ではそのような状況もあるが,絶版・品切れのものは逆に高価になっている。同様に,現在ではハンセン病関連の古書が安価で並んでいる。らい予防法が廃止され,国賠訴訟が始まった頃,ハンセン病問題が脚光を浴びた時期,入所者の手記・証言集などハンセン病関連の本が多く出版された。しかし,一時期のブームが過ぎたせいか,古書店には新品のままに安価で売られている。私にはありがたいことだが,ほとんど読まれず,しかもサイン入り献呈本などが随分と流れている。一過性の流行に空しさと,ハンセン病問題の要因を知った思いがする。

…島田等さんは生前こんなことを言っていた。「光田健輔が提案した終生強制隔離政策を国が実施した,そのことで隔離は徹底していったが,もうひとつ隔離が続いた理由がある」。「何ですか?」と学生だった私は尋ねた。「国民の無関心ですよ」。これを聞いた時,ガツンと頭を殴られたような気がした。三三年前のことである。

沖浦和光・徳永進編『ハンセン病-排除・差別・隔離の歴史』「あとがき」

「無関心」の要因は多々あるだろう。知らなかった・知らされなかった・知る術がなかった・興味や関心がなかった等々が考えられる。だが,これらに共通の根本には,自分との関わり度(距離感)が深く関係している。自分に関係する事柄かどうか,関わる必要性があるかどうか,そのように思うこと自体が「無関心」なのであるが,それが人権意識の低さを露呈している。
「知ったことに対する無関心は悪ですらなく,人間の物化を意味する」とは高橋和巳の言葉であるが,私はそれもまた「悪」であることをハンセン病問題から思う。

『全患協斗争史』(森田竹次遺稿集刊行委員会)を古書店で見つけて購入した。この本の後半に収録された「資料編」には貴重な資料が転載されている。
藤野豊氏らによる大部の「ハンセン病問題資料集成」もあるが,個人が購入するには高価であり,私も必要な巻しか持ってはいない。やがては入手しようと思っているが,現時点では図書館で読むかコピーしている。
本書には,長島事件や栗生楽泉園の人権闘争関係の資料が載っていて,参考になる。こうした貴重な資料は,整理しながらHPに転載しようと思っている。

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草津重監房

沢田五郎氏の『とがなくてしす−草津重監房の記録』を一気に読み終えた。何とも言えない重いものが胸にのしかかって言葉を失ってしまった。ただ唯一の救いは,「初版あとがき」に書かれた次の言葉だけだ。

人間社会にはいろいろな人がいて構成されている。賢者もいれば愚者もいる。身障者も健常者も,健康,不健康入り混じって響き合って発展しているのである。それらの中で,あの者はこの社会にいてほしくない,などと決めつけてはいけないのだ。ある者をそのように決めつける社会は不健全であり,不健康である。
病気を病まない人が,あの病気に罹ったらもう生きる甲斐はないと言うとすれば,その人は強い差別感情の中にどっぷり浸っている可哀想な人ということになる。病んだ人がそう言うとすれば,病まずに言っている人より強い差別者である。どのような境遇の下でも人が生きているかぎり,そこには人生がある。また,その人生が過酷であればあるほど,それに負けずに生きぬく人が輝くのである。

共生社会の本質を端的に述べた至言である。そして,我々はようやく,その入口に立つことができたに過ぎない。歴史に学ぶとは,過去を知ることではなく,過去から学ぶことである。
栗生楽泉園に造られた「上の監禁室」とも「重監房」ともいわれた「特別病室」から学ぶべきことは多い。そして大きい。

なぜ「特別病室」が造られたのか,なぜ造らなければならなかったのか,その目的は何であったのか。そこで行われた非人間的な仕打ちの数々,人間が人間に対してここまで残酷に,冷酷になれるのだろうか。だが,それはまぎれもなく事実であった。


同書より「重監房」を説明している部分を引用してみる。

建坪三十二坪(約百八平方メートル),二棟になっていて(一棟だが,迷路のように通路が入り組んでいたので二棟と思われたという説もある),治療室と看守の控室と,罪を犯した患者を入れる房が八房。一房の広さは便所も含めて約四畳半,床は厚い板張りで,壁には,コンクリートがむき出しのところもあったが鉄板が貼られており,高いところに一ヶ所明り取りの窓がある。この寸法は縦十三センチ・横七十五センチで,硝子戸が二枚はめられ,引き違いに動くようになっている。窓の外には鉄格子がある。食事を差し入れる窓は足元にあり,普通の便所の掃き出し窓より小さく,汁椀がやっとくぐるくらいとなっている。
周囲には高さ四メートルの鉄筋コンクリートの塀が巡らされ,内房も一房一房,同じ高さの塀で仕切られ,通路にも一房ごとに三尺角(約一メートル四方)の扉がある。その扉はいうまでもなく,錠が下ろせるようにできている。
最初の扉をくぐってから一番近い房へ行くまでに四つの扉をくぐらねばならないところから,この房を「五重の扉に閉ざされたところ」と書いている本もある。収監者を出し入れする扉は三尺角で,太い木の格子,その内側に部屋に張られたのと同じ鉄板が打ちつけてあり,外側には鉄棒が何本かつけられている。
電気の配線はなされていたが電球は取りつけてなく,収監者には袷一枚と布団二枚が与えられただけで,火の気は与えられない(入れられるときに着ていた下着はそのまま,六月から九月までは単,十月から袷で,帯はない。布団は敷一,掛二だったとの説もあるが,いずれにせよちゃんと打ち直して再生した布団ではなく,ぼろ倉庫に収められていたものを与えたことには間違いない)。
明り取りの窓は高くて小さいゆえ,幾重にも高い塀で閉ざされた塀の中は暗く,曇った日には昼夜の区別さえつかなかったという。そして,誰かが掃除をしてくれるわけではなく,箒も雑巾もないから,湿気るにまかせ,冷えるにまかせるほかはなく,冬は吐く息が氷柱となって布団の襟に下がり,房内は霜がびっしりと降りた。

草津の冬は厳しい。同書には,夜明け前の温度がよく零下十八度と放送されたとある。重監房の気温はそれ以下であったことは容易に想像できる。「冷蔵庫の冷凍室の寒さである」重監房で冬を越すのは奇跡に近い。

収監者には減食の刑も課せられているので,日に二回,薄い木の箱に入れた少量の飯が差し入れられるだけである。朝食は一般に給食と同じ時間に出され,汁がついている。ただし汁の実はなかったという。昼は一般の給食より少し早く,汁はなく,飯は朝の箱より五割方大きい箱に入れられていて,これ以後の食事はない。おかずは朝昼とも梅干一個だった。

…昼は汁はないので,やかんでお湯をやるのである。そのやかんも,守衛詰め所の外に置かれていて,「お願いします」と言うと守衛が沸いた湯の入ったやかんを提げて出てきて,それを入れてくれたとのことだ。

あまりの悲惨な処遇に唖然とする。刑務所よりも残酷な扱いである。


この重監房に収監された人数は92人であると,1947年の衆議院厚生委員会で厚生大臣及び東龍太郎医務局長が答弁している。この92人のうち「十四人が監禁中又は出室当日に死亡し,監禁と死亡との間に密接な関係があると厚生省が認めた者は計十六人に上がる」とある。しかし,確実な人数ではなく,18人とも22人ともいわれている。多くの人命が重監房で無残に失われた事実は確かである。

中で死んだ人を運び出す話がまたすごい。死ぬのは主に冬であるから,死体は凍りついているのである。そのため,布団ぐるみ運び出さなければならない場合が多かったが,その布団ががっちり床に凍りついているので,かなてこでも用意してゆかないと引き剥がせなかったというのだ。また,「この中で死んでいるはずだが」と言われて小窓から覗いてみるが,布団の中にそれらしい死体はない。周囲にもない。かわるがわる覗いてみるうち,あれではないかというものがあって,そこを見ると,片隅にうすぼんやりと白い塊がある。そこで扉を開け,勇を鼓して中へ入り,よくよく見るとそれが死体で,うずくまったままそこでこときれ,びっしり霜をまとっていたというのである。まさに冷蔵庫の冷凍庫の寒さである。

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『検証・ハンセン病史』

熊本日日新聞に,2001年12月から2003年6月まで連載されたものをまとめた本であるが,その取材と検証,わかりやすく整理された構成,ハンセン病問題の歴史的背景が実に的確にまとめてある。研究者の論文ではなく,ジャーナリストの文章なので読みやすく,飽きさせない構成となっていて,一気に読み進められる。

本書は古書店で購入したのだが,途中に線が引いてあり,購入者がしっかりと読んでいることがわかる。それが,なぜかうれしい。ハンセン病問題に関心を寄せ,内容を理解しようとすることがうれしいのだ。


今までハンセン病の歴史的背景に関する本は幾冊か読んできたが,本書ほど簡潔に,しかも読みやすい記述の本はなかった。一般的な「通史」でも「学術的な史的概説書」でもない。「検証」と冠しているように,新聞記者による取材と資料収集,そジャーナリズム的な分析と論証から書かれている。時系列的な概観よりも,出来事や事件,人物に焦点を当てた論述であり,だから読みやすく,ハンセン病の歴史的経緯が掴みやすいのだと思う。

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貴重な証言

『とがなくてしす−草津重監房の記録』(沢田五郎)
『証言・日本人の過ち−ハンセン病を生きて−森元美代治・美恵子は語る』(藤田真一編著)
『証言・自分が変わる社会が変わる−ハンセン病克服の記録第二集』(藤田真一編著)
『ヒイラギの檻−20世紀を狂奔した国家と市民の墓標』(瓜谷修治)
『「らい予防法」で生きた六十年の苦闘−第一部少年時代・青年時代』(沢田二郎)
『風花−冬敏之遺作集』(冬敏之)
『冬敏之短編小説 ハンセン病療養所』(冬敏之)

修学旅行から帰宅した夜,届いた古書の中に,ハンセン病市民学会で証言された方々に関係する書籍を注文していたものもあった。早速に書斎で紐解き,目を通し始めたが,その内容に圧倒され,修学旅行の疲れも身体の痛みも消し去り,引き込まれて眠気も吹き飛んでしまった。


修学旅行の間,移動のバスや新幹線の中では持って行った平沢保治さんの『人生に絶望はない』を読み耽っていたが,多摩全生園・国立ハンセン病資料館に到着以後に書籍販売で購入した『手紙−ハンセン病元患者と中学生との交流』(山口シメ子)を読み始め,その日の深夜に読了した。

山口さんは,先日のハンセン病市民学会2日目のシンポジウムで,新良田高校卒業生としての自分の体験を語られた方だ。ユーモアを交えた軽妙な語り口の中にも,家族離散という辛酸の体験,実際に見聞された療養所内での自殺など,胸の内にある深い悲哀が伝わってきた。
金さんともちがう境地を感じて,もっとじっくりと彼女の話を聞きたくなった。森元さんなど他の卒業生や初日のパネリストの方々に対しても同じ気持ちはあるが,特に山口さんには心引かれた。だから,偶然に見つけた彼女の著書に歓喜した。

中学生に語りかける彼女の言葉は,その一言一句が愛情と思いやり,伝えたい思いに満ちている。先ほど見学してきた資料館の展示品の数々,療養所内での生活,過酷な歴史,生々しい証言…それらが彼女の文章とオーバーラップして,私の心を強く打った。


朝早くに出発し,新幹線そして東京駅からのバスと長旅の疲れからか,また初めての緊張感からか,やや集中力を欠いていた生徒たちが,案内をしてくれた学芸員の金さんの優しさの中にも伝えようとする気迫のこもった解説に,徐々に引き込まれていくのが感じられた。
彼らは,事前学習ではある程度理解してきているが,パネル展示や紹介映像の迫力に驚くばかりの様子だった。本物の力だと痛感する。圧倒的な「事実」を眼前にしたとき,人は言葉をなくす。語れないのである。どのような言葉も軽くなってしまうことを,子どもも知っているのだろう。
もし自分なら…といった仮定の感想など,いかに陳腐なことかを,そんな感想など彼らには失礼になると感覚でわかるのだと,生徒の目線から感じた。

資料館の見学を終え,最後に納骨堂に向かった。死してもふるさとに帰ることができずに,この地に眠る数千の霊魂は何を生徒に伝えてくれただろう。家族や親族を思って自ら口を閉ざした人々もいるだろう。家族や親族を守るために拒むしかなかったふるさとに住む人々もいるだろう。差別や偏見は,両者を苦しめ続けている。

加害者・被害者の範疇だけで解決できる問題ではない。社会の変革だけでも解決はしない。あらためて差別・偏見の恐ろしさを,自分も含めて人の心の奥底に,社会の根底に巣くっている差別を容認する構造を,見たような気がする。

差別の構造を解体するには,一人ひとりの生き方を問い続けるしかない。このことを生徒にわかってもらいたい。そのために,彼らの証言がある。

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ハンセン病市民学会

5月8日・9日に第6回ハンセン病市民学会総会・交流集会in瀬戸内が岡山市と長島の愛生園・光明園で開催される。

9日の午後,分科会教育部会において本校の取組について実践発表をすることとなった。同僚と2人,本校が取り組んできた今までの人権教育,ハンセン病問題への取組に関する実践を発表する。
前半,私が8年前から現在までの取組の概要と本校が構築してきた人権教育及びハンセン病問題学習の視点や方針などを説明する。特に,私が人権教育主事をしていた5年前までの約3年間で取り組んだ同和教育から人権教育への移行の見直し,本校の人権教育構想の確立,その間の研究会など,そして現在までを説明したいと思っている。
後半は,同僚がこの3年間で生徒を連れての長島愛生園への交流訪問,人権学習の広がりなどを発表することにしている。


人の縁とは不思議なもので,十数年ぶりに広島の延先生とのセッションができることになり,とてもうれしく思っている。

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解放とは

林力先生の著書にあった一文に誘われて島比呂志氏の著書を買い求めて読んでいる。読み始めてすぐに,その圧倒的な存在感に心揺さぶられ,確かな論旨と文章力に惹きつけられた。

林力先生について触れた次の一文がある。

「それは,すごい」私はそう言ったきり,次のことばが出なかった。あまりの感動に胸が詰まり,溢れそうになる涙をこらえるのが,やっとだった。癩を煩ったことは不運ではあるが,悪事を働いたわけでも罪を犯したわけでもなく,恥としたり隠したりしなければならない理由は,どこにもない。それなのに,患者も家族も,必死になって隠している。しかし心のどこかでは,結核のように隠さなくてもよいようになったら,どんなにか心が晴々とすることだろうと,願っているのだ。林力氏は,何千という聴衆を前にして,父は癩だったと語り出すという。私は映画でも見ているような解放感に,ただただ感激するばかりだった。
                     (中略)
林氏は,被差別部落の人々と変わらぬ貧しい生活をしている両親が,彼らを悪しざまに言うことで,自分たちは彼らに比べれば恵まれている,とする差別心理を描き出している。当然,そのような両親に育てられた子供のなかには,根深い部落差別の心が宿されているはずである。小学校の助教諭となった林氏は,絶対部落の子供のいる学校には行きたくない,と祈る思いだったと告白している。しかし皮肉なことに,氏は部落の児童の最も多い小学校で,十年も教鞭をとることになり,次第に部落の実態に触れてゆくのである。
                     (中略)
読後に強く感じたことは,氏のやさしさと謙虚さであった。…常にひとりの人間として,一教師として,自己の生い立ちから現在に至る差別認識の過程を回顧点検しながら部落の児童や家族の生活に触れ,その中で同和教育のありようを模索しようとしている。同和教育の最終目的は,部落解放にあることは論をまたないが,癩という強固な秘密の扉を開き,『恥部でないものを恥部としてきたわたしの弱さ』を打ち破った林氏の勇気は,解放を必要とするすべての人々に光明を与えてくれるはずである。

島比呂志『片居からの解放』(社会評論社)

私は,部落史研究の目的を部落問題に関する「差別及び差別構造の歴史的解明」と「差別認識の過程の解明」と考えている。

「恥部でないものを恥部とした」のは誰か。「恥部でないものを恥部とさせられた」のは誰か。この両者からの視点が「差別認識の過程」を考察する上で重要である。
差別や偏見が再生産・再編成されていく過程において「差別認識」は重要な役割をもつ。本書には,その実例がいくつも紹介されていて興味深い。

丸山ワクチンの創始者である丸山千里博士が「ハンセン病患者に結核患者がいないことに着眼してワクチン開発を思いついた」という報道は明らかな誤認であるが,それを事実として引用して論を展開した文芸評論家の柄谷行人氏がいる。

…ただ興味をもったのは丸山氏が本来は結核のワクチンを,ハンセン病患者に結核患者がいないという経験的直感からハンセン病のワクチンとして,さらに同様な推理によってガン・ワクチンとして転用してきたプロセスである。

(柄谷行人「意味としての病」)

島氏は,次のように危惧する。

このように,丸山氏が誤認した事実を,柄谷氏が事実として引用したごとく,第二,第三の柄谷氏の出現も考えられるし,また柄谷氏の文章からの孫引きなどを考えると,その波紋は果てしなく拡散してゆくように思われる。そしていつの日か,「意味としての病」に苦しめられてきたハンセン病患者に,さらに誤認による新しい意味が加えられるかも知れないのである。その新しい意味が,偏見を生むか理解を生むか,それは分からない。ただ私は,正しい医学的事実に基づいた,正当な理解を望むだけである。

今年亡くなった作家の栗本薫氏は,長編SF小説『グイン・サーガ』の初版本(1979年に雑誌に掲載)に「癩伯爵」という人物を登場させ,「わしにとりついた業病は,空気にふれてもひろまる」とか「癩という業病にきくのは,人の生き血と,生肉以外にはない」など偏見による差別的な表現で書いている。栗本氏は関係団体からの抗議を真摯に受けとめて謝罪し,書き直しているが,私は彼女がなぜそのような偏見をそのままに記述したのかを問題にしたい。

一つには,当時のハンセン病に対する偏見と無知によるまちがった社会認知の状況を反映したものであったと考えることができる。遺伝病・伝染病といった誤った知識・認識から派生した偏見や先入観が事実として広まっていたのである。もう一つは,作家である彼女が調べれば最新の情報を入手できたにもかかわらず,当時の社会の風聞のままに,主人公に対して「敵」の悍しさを演出する表現として「ハンセン病」を利用したことである。栗本氏は,癩という名を表現として使っており,差別意識などなかったと言っているが,彼女の中に「ハンセン病」に対するまちがった認識や偏見がなかったとは思えない。そのような表現を使ってしまったということは,日常で「癩」という病が悍しく恐ろしいものであると感じていたからであり,当時の社会においてそのように思われていたという認識があったからである。

先の柄谷氏と同様に,栗本氏にも「文章化した責任」がある。個人的な日記として人知れず秘して書き綴るのであれば,事実誤認や錯誤,あるいはイヤミも皮肉も大して実害はないが,不特定多数に向けて「公開」するのであれば,自分の文章に責任をもつのは当然である。もちろん,個人的な日記であっても,良心の呵責や自分自身に向けた恥ずかしさなどはあると思うが…。自分勝手な思い込みや憶測から事実確認もせず,書きっぱなしの文章を読み返すこともせず「垂れ流す」ことの無恥は,無知よりも始末におけない。


解放とは何か。私は自分自身にある偏見や先入観,差別意識を払拭していく作業であると考えている。他者のため,たとえば部落解放は部落民のためといった自分をどこかにおいた解放などではない。同様に,他者を否定することでもない。たとえば,部落民に対する差別者を見つけ出して否定することで部落解放が達成されるものではない。

部落民か部落民でないかという二律背反的な思考では部落解放など,いつまでたっても平行線である。私は部落解放のために,すべての人間が部落民にならなければならないなど一度も提言したことはない。「被差別の立場に立つ」ことは「部落民になる」ことではない。そのようにしか解釈できないから「部落民と結婚しなさい」などの荒唐無稽な戯言に振り回されるのだ。他者の言説の真意をそのままに受けとめられず,曲解してしまう自分自身の思考を検証すべきであろう。「被差別の立場に立つ」とは,相手の置かれている社会的状況,相手の社会的立場に立って物事を客観的にとらえることである。差別を解消していく立場である。

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偏見と差別

灰谷健次郎氏の名作『兎の目』がハンセン病と深い関わりがあったことは知らなかった。『「癩者」の息子として』(林力)に次の一文が書かれている。

ところで,こうしたハンセン病に関する認識の誤り,無知は殆んど有効な啓発活動も行われないまま,人びとの深層に根づいて動かないままになっています。そして,それは時にいわゆる文筆家やマスコミによって無責任に表出して,さらに予断と偏見をかり立てていくのです。…しかし,わたしが最近ことのほか憤りをもって接したのは灰谷健次郎の『兎の目』でした。そのなかで彼は「ライ菌」をハエが伝播する病菌として把え,作中の小谷先生がある本でそのことを調べたことにしています。
           …(中略)…
ハンセン病は外傷による長期にわたる接触伝染によります。それも,主として幼児期においてです。しかもきわめて微弱な伝染力しかありません。
           …(中略)…
しかし,ハエがハンセン氏病を伝播するという灰谷氏の無知は,わたしの少年の頃の記憶を鮮烈に引き出さずにはおきません。…痛覚をはじめ一切の感覚はまったくなくなっていて,ハエや蚊がまつわりついても父は平気でした。腹いっぱい血をすった蚊が畳にころがり落ちることさえありました。母は,父の身体にふれたハエや蚊が自分や,とくにわたしを襲うことをひどく恐れました。それを追い払うため金切り声をあげ,夏の夕方には,雑草のなま干ししたものをいぶして蚊を追うのに懸命でした。自分の身体から離れたハエや蚊がわたしたちの身体にとまるのを必死に追い払う妻と子の姿を,父はいつももの悲しい目で見ていました。
灰谷氏の過ちは,その光景をあらためて思い出させてくれるのです。それは,とてもつらいことです。

同書の後半には読者からの手紙が収録されているが,その一つにこのことと関連したものがあった。

灰谷先生の『兎の目』の文中のらいの文字のカットを申し入れたのは私です。その経緯については,ミセス十一月号に載っています。
灰谷先生の“島からの便り”にも転載されています。
灰谷先生には,あれから偏見を助長するおそれがあるので善処して欲しいという私の申し入れに対して,理論社の社長とも相談し,在庫本の廃棄と刷り増分からのカットを約束して下さり,無知から大変ご迷惑をおかけして申し訳ないと,苦渋に満ちた反省とお詫びの手紙を速達で寄こされ,私が恐縮する程でした。

『兎の目』は同和教育の教材として広く活用され,多くの教師や子どもたちに感動と思いやりの大切さを伝えてきた。私も生徒に勧めてきた本であり,道徳の教材として使ったこともある。だが,このエピソードは知らなかった。

知らないことの恐ろしさ,まちがったことを伝えてしまう弊害,曖昧な知識や軽率な判断が予断と偏見を助長させてしまうこと…このエピソードから学ぶことは大きい。

人に伝える情報に関しては,その情報を発信した者に責任がある。情報の事実確認もせず,憶測による独断で文章を書いて発信することの無責任こそ問われるべきである。
事実でないことをさも事実であるかのように吹聴することで,事実を確認することができない者に対して虚偽を信じ込ませてしまう功罪は大きい。

自らのまちがいによって他者の人権を侵害していながら修正も訂正もしない人間に比べて,灰谷氏の真摯な対応はさすがである。それは彼自身が誠実であるからだろう。
自分のあやまちやまちがいに対する指摘を誠実に受け入れることができるかどうかだと思う。自分のまちがいを素直に認めることはなかなかできるものではない。たとえ明確な根拠を提示されようとも,指摘した相手によっては認めようとしない意固地さを露呈するだけの人間もいる。部落問題に関しても同様のことがよく起こる。

灰谷氏は,これ以降,積極的にハンセン病問題に関わっていく。

【学ぶとは胸に誠実を刻むことであり,教えるとは共に希望を語ることである】
(ルイ・アラゴン)

posted by 藤田孝志 at 13:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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